シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

全力投球のその先に見えるのはどんな景色なんだ?

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家に帰ってご飯を食べる時に、録画してあるテレビ番組を観る事が多い。

最近は、ずいぶん前に録画したドラマを見ている。

そのドラマは、1年位前に放送していた『宮本から君へ』だ。

 

放送当時、毎週楽しみにしていた。

それからずいぶん時間が経って、あらためて見直してみたんだけど、相変わらず面白い。

ただ面白いと感じる以上に、俺の受け取り方が変わっているのが面白い。

 

どう変わったかと言うと、このドラマを観ていて“熱いモノ”が込み上げてくるポイントが変わったのだ。

 

放送当時には、まさにドラマ制作者と演者が意図した場所で、主人公に共感しながら感情を揺さぶられながら観ていた記憶がある。でも、今見直してみると、それらのポイントも確かに“熱い”けれども、それ以上に“熱い”ポイントがそこかしこに見受けられるのだ。

今日観ていた回では、不覚にも一人で観ていて思わず涙が出てきた。

 

今回見直してみて、このドラマは、“働く”という事にとてもフォーカスして作られているドラマだとあらためて感じた。

“働く”という事を通じて、若者が成長していく過程のみならず、いわゆる日常の中に存在する誰でも経験するような“働く”という事について、真剣に向き合って全身全霊で挑む事で、己との闘いを繰り広げる瞬間の連続がここには描かれている。

これは、もはや、働く全ての人の物語であり、自分と闘う全ての人の日常なんじゃないかと思ったのだ。そして、もちろん、このドラマに俺自身も重ね合わせて観ていたのだ。

 

俺の状況と、俺の周囲の状況と、俺自身が考える事がこのドラマの放送当時とはずいぶん変わってきたが為の受け取り方の違いというのを、ドラマを観ながら実感させられる事が多かった。

 

宮本から俺へ。

そんな事は一切意図されていないのかもしれないけど、宮本から俺に対して、全力のド直球で投げ込まれた球を、勝手に受け取った気がする。

この球は、受け取る側の俺がその時どういう人間になっているかで、全然変わってくるんだろう。

 

いつか、『俺から宮本へ』何かを全力で投げ返せる日が来るように。

これから毎日、全力のド直球を投げ込み続けようと思う。