プロフェッショナルな1日の始まりは
ようやく体調が回復してきた。
今日は、体がダルくなったり重くなったりする瞬間がほとんどなかった。かと言って、体調がバッチリだったかと言うとそういうわけでもないけれど、それでも1日問題なく仕事ができた。これはきっと、「仕事だから」という意識が働いて頑張れたというわけではないんじゃないかなと思っている。
それでもとにかく体調が悪くないというのが如何に貴重な事なのか、如何にありがたい事なのかをしっかり感じられた一日だった。
仕事をしていても集中できる。途中でダルくなったりしないというのがこんなに嬉しい事なのかというのが、例えば一つの作業を集中して終えた後の感想だ。
そして、長時間連続して仕事ができる。これも、一日を終えて帰宅してから実感したことだ。集中して仕事をして作業を終わらせる。その繰り返しが長時間できる。これは本当にありがたい。健康ってなんて素晴らしいんだろう。
今日は心からそう思った。
体調が良いのが当たり前だという感覚で生きている。それが、健康体である時の、平常時の当たり前だった。だけど、体調が良いのはもしかしたら当たり前じゃないのかもしれない。つい昨日までの俺のように体調が悪いのが当たり前の状態で、今日の俺みたいに体調が良い日がたまにあるという状態。これが当たり前の日常だったとしたら。
もし、そうだったとしても、これまでと同じようにモチベーションを保った状態で、未来を見据えて生きていく事ができるのか。いや、そうできるように生きていく必要があるんじゃないのか。
自分が今いる状態で、その現状の中でどこまでやれるのか、その中の最善はどんな選択でどんな行動なのか。そういう事を常に考えながら生きていく必要があるのかもしれない。
そう言えば、今朝読んだ新聞に本田圭佑の記事が載っていた。
そこには、「毎日、鏡を見た瞬間、『きょう、最後』というぐらいの感覚。そんな生き方をしています」という本田の言葉が書いてあった。それを読んだ時に、「俺はまだまだ甘かったなあ」と思い知らされた。覚悟のレベルが、まったく違ったのだ。日々、考えている事のレベルが段違いなのだ。
どうりで、カッコいいわけだよな。