シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

ハイウェイサバイバル


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高速道路の長距離運転は疲れる。

土曜日の朝、俺の実家に遊びに行くために高速道路を移動した。もう何年も同じ道を走っているけど、毎度の事ながら緊張する場面が多い。何度利用してもこの緊張感から解放される事は無い気がしている。仕事で毎日のように高速道路を使って長距離移動していた事もあったけど、その時だってこの緊張感はずっとあった。

俺は基本的にかなりの臆病だと自認している。これは子どもの頃からずっとそうなので今さら変わらない気はしている。そんな筋金入りの臆病である俺が高速道路を運転するのだ。そりゃあ気にしなければいけない事が山ほどある。調子にのってアクセルを踏みすぎないようにとか、事故を起こさないようにとか。

何しろ、周りは他人の運転する車ばかりだ。車の台数が多く、でも100km位で流れができている3車線の高速道路や、頻繁に短距離での車線変更を求められる首都高速はかなり怖い。信じられない運転をする車に多数遭遇する。俺がどれだけ安全に気を付けて運転していても、自分の車の動き以外に気を配っていない車が多数見受けられるのだ。これは怖い。ウインカーを出さずに車線を変更してくる車や隣車線の様子を一切気にしないで車線変更してくる車がその最たるモノだ。

幸い、高速道路で自車が事故に遭ったことはまだない。ただ、上記のような車たちのお陰で急ブレーキを踏まされる事は一度の長距離運転の往復で1回は起きている。その対象はいわゆる“マイペース”な車がほとんどだ。周囲の流れを一切無視していると言っても過言ではないような運転をしている車。いゆる状況判断ができていない人達が運転している可能性が非常に高い。

どこのタイミングでそういう人達の運転する車に遭遇するかは運でしかない。だからできるだけ、そういう“マイペース”な車を見抜く事が、俺の安全に繋がるのだ。そう考えて高速道路を利用するようになってから、そういう『ヤバイ車』を見抜く力が最近上がってきた気がするのだ。
それでもまだ急ブレーキを踏まされる数はゼロにならない。まだまだ緊張感をみなぎらせて運転している。恐らくこの緊張感を感じなくなる事はないだろう。

でも、それで良いのだ。

自分の命が一瞬で消し飛ぶような状況に常時身をさらしている高速道路。この状況で「緊張する」というのは生物として正しい緊張感のはずだ。それによって今のところ無事故で高速道路を乗りきれているってことなのかもしれないし。

高速道路を利用する度に感じるこの緊張感こそ、俺にとっての生物としての危機管理能力の源を体感できる場面なのかもしれない。

臆病だからこそ、今も生きられていると考えれば、「臆病者」という呼称も意外と誉め言葉として受け取れるのだろうか?いや、受け取れない。シオタ、心の反語。