シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

未来に戻り、来るべき過去に希望を持って進むべし


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昨日、自分で書いた『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のマーティーの話を、今日あらためて振り返る意味で、このシーンについて調べてみた。

そしたら、ちょうどマーティーがジョニービーグッドを弾いているところだけを編集したユーチューがあったので見てみた時に思ったのだ。

「これって、もしかして、前提の共有の話なんじゃない?」と。

チャックベリーはもちろん、背面弾きもスライディングしながら弾いたり、飛んだり跳ねたりしながら弾いたり、ましてや寝転がったまま背中で進みながら弾いたりするギタープレイという概念が無い人からしたら、当然ながら盛り上がるどころか、唖然としてしまうしかないんだろう。そんな事に今更ながらに気づいたのだ。

そういえば、子どもの頃には俺もこのシーンの意味がよくわかっていなかった事を、ユーチューブを見て思い出したのだ。あの頃の俺も同じように、ギターのプレイスタイルという概念が無かったのでそもそもこのシーンの意味を理解して面白がる粉とができていなかったのだ。

よく言われる「前提の共有」をするためには、そもそも、文化を同じくするという「前提の前提」が必要なのだ。その文化が同じかどうかに想いを馳せなければそもそも相互理解はできないし、それどころか、面白がる事もできず、盛り上がる事もできず、ただ理解不能に陥り、なんなら「怖い」と思われて終わってしまうだけかもしれない。

そんな事にあらためて気づいたのだ。

時空を超えて、俺に新たな気付きと学びをくれるマーティーとこの映画は、まさに題名通りのパラドックスを俺の中に生んでくれる名作だ。