シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

別にぶつけないで両方持って使いましょう


f:id:shiotapathos:20190824093148j:image

そこには何もないけど、確実に“何か”を掴んだ感覚がある。そういう時ってありませんか?

もう全てが概念の話になっちゃうんだけどさ。何て言うか、今ここで話をしている俺達の前には、文字通り何もないけど、でも確実にここで話をしている俺達の中に、同じものが思い浮かんでいるのだけは分かるのよ。でも、この感覚って、今ここにいない人には絶対に伝わらないっていうのも分かっていて。だからといって、「どうせ伝わらないんだから」って諦めるっていう気も毛頭無いわけで。でも、「じゃあどうするの?」って言われても何か具体的な策を思い付いているわけでもないんだよね。ただ一つ分かってるのは、諦めないで続けるって事だけで。何しろ、今俺達が共有しているこの感覚って、これをこのままの形で理解できる人はいないっていうのは分かっていて、でも、この感覚を何とかして分かってもらう事ができたとしたら、今までよりも他者とのコミュケーションを取りやすくなったり、いさかいが減ったりっていう事が確実に起きるっていうのは、ここで現に話をしている人には分かってもらえているじゃない?そういう感覚っていうか、体験っていうか、そういうのを何とか自分達の中から外に出して、それも受け取ってもらえる形にして、飲み込める固さにして、不味くはない味にして、みたいな。そんな事をしていかないといけないんだと思うのよ。まあ、でも、これが受け入れてもらえるかどうかは本当に分からないよね。だって、恐らく「何いってるんだかわかんねーよ」って言われるのがオチだと思うのよ。何しろ今日話してた内容が内容だしね。そう思うでしょ?いやー、こればっかりはどうやって理解してもらえば良いのかね。でも、そりゃそうだよね。自分達で気付いて、自分達で理解して、自分達で言ってた側の俺達が、口に出しながら「言ってて理解不能だね」って話してたんだからさ。え?まとめの為にもう一度その気付きについて話をしてって?覚えてないの?いや、俺じゃあるまいし、んなわけないか。じゃあ、今日の話をあらためて一言でまとめよっか。つまりこういう事だったよね。

「抽象度を上げることで具体化させる」

やっぱり何度口にしても意味わかんないよね。ハハハ。じゃあまた明日ね。お疲れ様。