シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

移動距離20mの一日


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ただひたすら寝る一日もなかなか良い。

昨日の夜のアルコール摂取による頭痛で寝たり起きたりを繰り返してたら結局そのまま夜が明けた。そして頭痛は全然おさまらない。これは一日使い物にならないだろうなと朝から予感した通り、頭痛は午後になるまで続いていたので家族が出掛けるのを布団の上で見送り、俺だけ家で寝たまま留守番だった。

ほぼ一日中布団の上でゴロゴロしながら、起きてる間は携帯を見たり本を読んだり空を眺めたりして過ごしていたけど、なぜか一日を無駄にした感覚に襲われることは無かった。ただ何となく、「たまにはこういうのも良いなあ」と扇風機の風にあたりながら、ボーッと天気の良い空を眺めながら思っていた。

活動的に過ごす一日はそれはそれで充実した感じがするので好きだ。でも、今日みたいになにもしないでいる一日が良いなあと思える今の自分の感じも好きだ。

今、書いてて思ったけど、きっとこれは充実した日常を送れているという事なのかもしれない。

前に会社員として勤めていた頃は、仕事のストレスからなのか休みの日にどこかに出掛けたくて仕方なかった。とにかく休日はどこかに出かけて何かをしないとという半ば強迫観念のような事を思っていた気すらする。そうでもしないと、すぐに月曜日がやってきてまた終わりのないストレスフルな場に身をおかないといけない。そんな風に思っていた時期が結構長くあったのだ。

でも、今は、月曜日が待ち遠しい。早く会社に行ってみんなで仕事について色んな話をして物事を進めていきたいし、進めないといけない。今のこの毎日は、何も考えずに好きな格闘技の事だけを考えて練習漬けで生活していた頃のような日常を送れている感覚がある。あの頃と同じく、とても楽しいのだ。

だけど、あの頃と違う事がある。あの頃は自分の事だけを考えていればそれで済んでいた。なんの責任も無かったから。家族もいないし、ましてやそれは仕事でもなかったから。でも、今は楽しいだけでなく、シビアさがついてくるのだ。お金もそうだし、何しろ色んな人の人生がかかっている。責任もある。そして何より、志があるのだ。

あの頃とは状況は違うけど、あの頃と同じような楽しさもある。