シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

溶岩をよう噛んで食べられるなら食べてみろ


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『生きづらさ』って何だ?

最近こんな事をよく考える。

全くもって自慢ではないが、『生きづらさ』については、過去に様々な体験をしてきた自負がある。幼少期の家庭環境から始まって、成長過程においては人との関わりの中で多種多様な生きづらさを抱えてきた。社会に出てからもずっとそれは拭えず、ようやくここ最近になって過去を振り返ることができるようになってきたのだ。もちろん、『生きづらさ』というのは、今になって振り返ってみればそういう事だったんだなと思えるけど、その当時は自分がそんな事を意識できていたわけではないので、「何で俺はこうなんだろう…」なんて考える事が常にあった。それによって更に生きづらさが増大していくというスパイラルを自分で発生させていたというとんでもない状態だったのだ。

でも、今となってはそれらが全て役に絶っているのだ。俺が人生の中で味わってきた様々な『生きづらさ』の体験は、この世界のどこかで現に生きている誰かの身に降り注いでいる『生きづらさ』を理解するうえで大いに役に立っている。だから共感ができるし、その思考パターンを読むことができる。もちろん全てできるわけじゃないのは言うまでもないことだけど、ある程度は分かるし見えるのだ。だから、先回りもできるし、汲む事もできる。

あの頃はそんな事が起きるだなんて、というか、自分が会社を起こして人の役に立とうとする仕事をするなんて思ってもいなかった。だけど、今の俺は現にそういう事を生業としているのだ。

そんな俺に、また新たな『生きづらさ』をもたらす体験をする機会がやってきた。きっとこれは俺が持って生まれた星のなせるワザなんだろう。今の俺にとってはこの機会すらも自分の幅を広げて、世界の可能性を広げるチャンスだと思えるのだ。器がでかくなったのか、昔よりもぶっちぎりに利己主義になったのか、それともまた別の何かなのかは分からない。でも、とりあえずは、凹んでる場合じゃないし、境遇を嘆いて思考停止になっている場合じゃないのだけは分かる。居着いたら、即死だから。

考えて、動いて、絶対に生き残って、この世界に100倍にしてやり返す。冷静でいながら、腹の底から沸き上がるこの世界への怒りをガッチリとコントロールしながら。

これが俺の原動力だし、生きる意味だと今は考えてる。