シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

いつか開けられる日が来るのかな?


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久々に分厚い本を読み終えた。

一冊400ページの専門書。どうしても早くこの本を読みたくて、金曜日から読み始め、ようやく日曜日の夕方に読み終えた。これだけのページ数の本をこの日数で読んだのは久しぶりだ。

内容は仕事に必要なジャンルの専門書。読み始めるまでは、「仕事に必要だろうけど、内容が難しかったら俺読めないかも」そんな事を考えていた。
何しろ俺は勉強が嫌いだ。教科書のような本は読めない。どれだけ興味を持ってても、なけなしのお金を出して自腹で買った本だとしても、小難しい本だとすぐに寝てしまうのだ。寝不足じゃなくても。
そんな調子なので、読んでみてダメだったら諦めようと思っていた。

だけど、本を開いてすぐに書いてある冒頭の『はじめに』を読んでいるときに異変が起きた。

心臓がドキドキしてきたのだ。本を開いて、本編に入るよりずっと前の導入部、それもほんの出だしを読んでいるだけで、心臓の鼓動が速くなってきて腹の底から何かが込み上げてきたのだ。こんな体験、映画では何度か味わったことがあったけど、読書で体験したのは生まれて初めての事だった。心臓はドキドキするし、体も若干震えていた記憶がある。その証拠に、ページをめくる手が震えていた映像をハッキリと覚えている。

そうして読み進めた本は、久々に頭の中がスパークしまくるような読書体験だった。本当に良い時間を体験できたし、物凄くためになる内容だったし、これから先の自分達に繋がるモノを確実に手にできた感覚がある。それが何かはまだ言葉にできないけど、でも、間違いなくこの先に続いていくモノを得た。そんな読書体験だった。

もしかしたら、世の中の読書家という人達は今回俺がしたような体験をたくさんしている人達なんだろうか?だとすると、今まで俺がしてきた読書ってやつはイッタイなんだったんだろうか?そんな事を考えてしまうくらいの衝撃的な感覚を体験できた。

そう言えば、以前、何かの本で内田樹氏が書いていた事を思い出した。一言一句は覚えていないけど、確か、「前書きを読んだ時に、自分に語りかけてきているかのように感じたらその本は読むべし」的な内容だった。それ以来、どんな本も手に取ったらまずは、前書きを読むようにしている。そこで、読むかどうか(大抵は、買うかどうかも含んで)判断するようにしていた。で、大体はそれでハズレないけど、2~3割はそれでも眠くなることがある。「まあ、仕方ないかなあ」なんて思っていたけど、違ったんだ。多分、内田樹氏が言っていたのは今回のようなケースを指していたんじゃないだろうか?もしそうだとすると、読んでいて眠くて先に進まないなんて事は起きるはずないし、そんな本を読んだとたら、それは必ずその先の人生でどういう風にしろ必ず生きてくるはずだ。

これまでに散々してきた読書でさえ、こんな初めての体験が待っているのだ。だとしたら、他の事でも、例えば自分がなかなか上手く出来ない事やまだ経験の無い事だけじゃなく、出来て当たり前だと捉えている事の中にも当然まだまだ知らない事や知らない領域があるはずなのだ。

俺の知っている世界の狭さと、俺の知っているこの世界の無限の広さ。そのどちらについても認識を書き換えることができた、素晴らしくワンダーな体験だった。

探究心。

忘れてはいなかったのかもしれないけど、忘れちゃいけないヤツを明確に思い出した。