シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

こんなモノサシもあるんだな


f:id:shiotapathos:20191114115804j:image

大切な事が何なのか、それが少し見えてきた。

仕事で色んな人に会う機会が増えた。勤め人をしていた時と比べると、圧倒的に増えた。それも、いわゆる社会的な立場が“ある”と言われる経営者という人達に会う機会が増えた。

そんな経営者と呼ばれる人達の中に、幾つかの種族がいるような感じがしていたのだ。それも、色んな場に出ていく度に、その感じが段々と明確になってきた。

多くの経営者が、初対面にも関わらず、なぜかとても尊大に振る舞う人だ。そんな人に遭遇する度に「なんでだろう?」と考えてきた。
割合にするととても少ないけど、こちらを尊重してくれるような対応の人達もいた。尊重してくれているのが明確に分かる丁寧な対応の人や、丁寧でも尊大でもなくとてもフラットな対応の人にも会った。
そんの経験をたくさんして、ようやくその違いが分かったような気がするのだ。

違いを一言で表すなら『リスペクト』なんだろう。

尊敬や敬意と言うともしかしたら誤解を与えかねないので、リスペクトというのがしっくりくる気がするのだ。そんな、重くも無く軽すぎもしない程度のモノ。あくまでも、一人の人格としての尊重を感じるようなモノ。それの有無が、言葉や振る舞いに表れている気がするのだ。
もちろん、件の方々に質問をしたとしたら、「敬意は払ってますよ」と言うに決まっている。他人に対して「敬意なんて持つわけ無いだろう」と明言するような人が経営者だとしたら、その人はもちろんだけどその会社もその界隈の人達も総じてオカシイことは間違い無くなるのだから。
だとすると、相対している相手である俺が感じるモノがその相手に対する評価をするしかない。その時の評価基準が、リスペクトの有無なのだ。

これを基準にすると、色んな事が見えてくる。言葉と行動が一致しているのか、一致していない事について何を言うのか、普段の主張と行動が伴っているのか等々。それらを『リスペクト』の有無を基準にして見ていくと、明らかに浮かび上がってきて見えてくるものがある。

もちろん、俺自身もそう見られているのだから、自分自身についてもリスペクトの有無を基準にした言動なのかどうか外側から見つめながらチェックしていく必要がある。

なるほど。だから生きていくのは大変なんだなあ。