心の無い優しさは敗北に似てるってさ
どれくらい外側から見ることができるのか?
その客観性の高さと、そこから何を得て何を考えるのか。それが、生み出すものの質というか、本質への距離を決めるんじゃないか。そんな事を思ったのだ。
きっかけは、会社のポストに入っていた1枚のチラシだ。
そのチラシは、つい最近近所にオープンした近隣ではそれなりに有名らしい飲食店の第何号だかの店舗の宣伝。チラシは両面カラー印刷で、キレイに撮られたその店の人気メニューの画が大きく配置されている。それに、チラシの端にはお得に食事ができる割引券が数枚付いている。
ただ、実際の中身は、凡そ料理とは言い難いような品々がキレイに見えるように並べられているだけの写真だし、割引券という名称が書かれているだけで何のインセンティブにもならない数字が書いてあるのだ。もちろん具体的には店舗名もメニューも価格も書かないけれど、チラシのデザインや色使いや店の知名度を考慮せずに見たとしたら、とてもじゃないけど行く気にはならないはずなのだ。実際に俺は、店の知名度も知らないし、店自体知らなかった。チラシのデザインにも興味がない。興味があるのはその内容と何が食べられるのかだけだ。そもそもその店も、食べる物を売りにしているお店らしい。ただ、その商売のやり方があまりにも阿漕に感じられて仕方がない。だけど、その店は幾つかある全店舗が全て繁盛しているらしい。
これは、その店のマーケティングが当たった結果なんだろう。極めて的確にターゲットの心をくすぐる宣伝と店舗のようなのだ。人心を操る技に優れた人がいるのかもしれない。
でも、この店のマーケティングからかなり遠い位置にいる俺は、恐らくこの先ずっとターゲットにはならないし、お店からしてもそれが望ましい結果なのだ。そういう人間が、どんなことをどんな風に思ったとしても痛くも痒くも無いのだろうし、何の関係もないのだろう。そして、だからこそ、俺からは、その店の本質が丸見えになるのだろう。
絶対に交わらないからこそ、真の姿が見えるんだろうし、関係ないからこそそこにハッキリと存在する明確な意図が受け取れてしまう。
チラシの文言にあるように、地元に愛されるお店になるつもりがあるようにはとてもじゃないけど感じられない。あと3年位で無くなってしまったりするんじゃないだろうか。もちろん、業績不振なんかじゃなく、世相の反映と共に。
ブームってやっぱり凄いんだなあ。