シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

泣くのがイヤならさあ歩け


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「こうやって広がっていくんだなあ」なんて感心することがあった。

今までずっと、いつかやらなきゃと思っていた施策をようやく今日実施できた。広報戦略の一つだ。俺たちのやってる仕事を今までよりも更に広く知らしめるための施策。何をやるかの大枠は決まっていたけど、どうやってやるか、詳細なその中身はどうするのか、などなど。ようやく形になったのだ。

まあこういうのはいきなり効果は出ないけど続けていくうちに少しずつ少しずつ効いてくるもんだよ。一般的にはそう言われているモノだ。実施したら反応を分析して次に生かす。それを繰り返していくうちに形に表れてくるもんだ。実際にこの手法を取った人たちは誰もがそう言うのだ。そして、俺もそう思っていたし、実際にやった上でそう思うのだ。

だけど、予想を超えた反応が、即座にあったのだ。もっとも、この反応は直接仕事に繋がるようなモノではない。だけど、全く想定していなかった反応が全くの想定外の角度から出てきたのだ。これは嬉しい誤算だ。恐らく、今回の施策を実施していなかったら絶対に起きなかった反応だからだ。これによってまた少し世界の見え方が変わった気がするのだ。
この世界は、俺が思っているモノとはどうやらかなり違ったようだ。俺が思っているよりも悪意が蔓延しているけど、善意は俺が思っていたよりももっと力の強いものらしい。そして、思っていたよりも勘違いが横行しているけど、時々こちらの想定を遥かに越えて真っ直ぐに全てを受け止めてくれたりするのだ。言うなれば、俺はアスファルトで舗装された道路だと思って歩き始めたら、完全に山道だったような感じと言うか。歩きづらいし危険だしぬかるんでるしで大変だけど、時々とっても歩きやすくて心がウキウキするような景色が目の前に広がることもある。そんな感じ。

まあ、そうは言っても目指す場所はまだまだ先だから、舗装されてようが険しかろうが歩きやすかろうが、とにかく行くしかないのよね。途中で止まっても、また歩き始めてを続けてれば必ずそのうち辿り着くはず。大事なのは途中で歩くのをやめないことだけ。歩いてれば、疲れも忘れるような素敵な景色が見えるかもしれないし。

明日また歩くぞ!