シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

ギクシャク音がするほど軋むカラダ


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身体中が痛い。

ジム通いを再開し始めて3日間、トレーニングをした。とても久しぶりだった。1日毎に筋肉痛の箇所が増えていき、今日はついに全身が筋肉痛になった。今や、ただ歩くのも困難だ。
日常生活の全ての動作がツラい。きっと、歳をとったり、慢性的に体の具合が悪い状態になると毎日がこんな感じなのかと思うと生活するだけでもツラいんじゃないかなあと思ったりする。

自分の体がこんな風になったりすると、生きてるのがツラいか楽しいかなんていうのももしかしたら本人の努力なんて全く関係ない次元で、ただの運で決まるんじゃないだろうかと思うのだ。

加齢により体が思うように動かなくなることや、不慮の事故や思いがけない病気で慢性的に痛みや苦しみが消えない状態になる。こんなの、運以外の要素は一つもない。なぜなら、そうなりたい人なんて誰もいないはずだから。それを、「食べてきた物がウンヌンカンヌン」とか、「生活習慣がウンヌンカンヌン」とか、「今まで不摂生してきたからウンヌンカンヌン」とか、そんなのは単なる後付けの話だ。同じような事をしていた人が軒並同じような症状を抱えるならそこに因果関係はあるかもしれないけど、そうでない人も世の中に数多存在する以上、運だけの話に他ならない。
そんな、運だけの要素について何かを論じることに意味は無い。だったら好きなようにやれば良いのだ。もちろん、根拠の稀薄な因果関係に思いを馳せて生き方を選択するのもやりたいならやれば良いし、やらたいようにやるんだと言って無理無茶無駄に人生を浪費するのも好きにすればいい。何をどうやるにしても、ただ自分が本当の意味で自分で選択して行動して自分の意志のみで生き方に責任を持つ。これだけが大事なんじゃないだろうか。

だから、明日の朝起きて、この痛みがまだ体を覆っていたとしても、ジムに行ってトレーニングをするのだ。
こんな風に自分に対して宣言をしておいて、逃げようとする明日の自分に牽制を打っておくのだ。

なにしろ、体が痛くてもジムに行ってトレーニングをする俺ってカッコいいよね?って自分に問いかける権利が手に入るのが俺としてはとても満足できることなのだ。
レーニングをすることで更なる痛みも自分で責任を引き受けるし、筋力も体脂肪率もどんどん良い状態に近付いていくという結果も自分で享受するのだ。

全ては、今の俺と未来の俺が満足するために。