シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

まるで透明人間のきもち


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動いていると『何か』にはなる。そんな事を実感できた瞬間があった。

まず、渾身の提案書が出来た。相手の反応はまだ分からないけど、仲間が考えて考えて考え抜いて作った提案書の内容が、めちゃくちゃに凄い内容で、そこから新たなプロダクトが生まれそうな予感がしている。と言うか、もはや生まれたようなモノだ。もし、今回の提案書が何らかの理由で通らなかったとしても、今後他のクライアントとに提案する内容がこれまでとは大幅に変化していくことだろう。もちろん、良い方向に。俺たちの新しい可能性がまた見えてきた。
そして、べつの方向からは、何やら予想だにしなかった角度からの案件が舞い込んで来そうな知らせがあった。しかも立て続けに。まだ詳細は分からないけど、これから何らかの形で動きが確実にありそうだ。

本当に、何がどんな風に進んでいくかは分からない。予想もつかない。だけど全てに共通しているのは、動いていたからこそ繋がってきているモノだと言うことだ。まあ、こんなのは古今東西の数多の人がそこかしこで言っているので今さら何だけど、自分自身が切実さを持っている時にこういう事が起きると、でっかい声で言いたくなってくるのだ。少し前に、折れそうになってた自分達と、ここから先でもきっと折れそうになっているであろう自分達に。

運とか縁とかそういう人智を越えたとこらで作用しているモノは多分ある。人間には絶対にコントロールできないヤツが。だけど、コントロールできないのは、結果についての話だ。運とか縁とかに出会う確率を高めるにはとにかく、サイコロなのかクジなのかバットなのか分からないそれを、転がして引いて振って、何がなんでも当てるんだというつもりでやるしかない。そうしたら、『たまたま』に遭遇する確率を今よりは確実に高める事ができる。もちろん、それでも当たらない事はあるだろうし、仮に当たったとしても、それはあくまでも『たまたま』なだけなので、決して己の実力だとか先見の明があったとか思ってはいけないんだとキモに命じておく必要がある。己を見誤ったら、そこから先に待っているのは、とんでもない大嵐なのだから。

先の事は予測はできても見通す事はできない。そう思って、起きた事をチャンスだと捕らえて、そこに全力で取り組めば、その次の何かには繋がっていくのだ。これも、使い古された話だけど、切実さを持っている時には遭遇すると、声を大にして言いたくなるのだ。

いやー、これから先の方が明るくなってきた気がする。ホントに良かった。

あれ?でも、この明るい兆しって、どれを取っても、俺は一つも絡んでいない気がするのだけど…。