シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

未知との遭遇に備えておくという矛盾


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新しいことが始まる。

春を過ぎたら、新しい場所で新しい仕事ができることになった。協力してくれる人が、本格的に力を貸してくれる事になったのだ。もちろん詳細は書けないけど、俺達からするととてもありがたい話をもらった感じだ。

で、早速みんなで考えてみた。そもそも、その新しい仕事は、俺達にとってどういう意味付けをするのか?するべきなのか?した方が良いのか?そんなことを、あーでもないこーでもないとみんなで話た。まだまだ結論は出ていないけど、何となくの案は出始めてきた。

何しろ、自分たちですらもどう扱うべきなのかがなかなか見えてこないくらいにでかい話なのだ。まあ、でかいのは金額ではなく規模なんだけど、その規模で何かをやったとして、その後にどう繋げていくのかのリレーションシップが重要だ。そこをある程度見据えた上で臨まないと、実際にいざやってみた時に起きた事柄に対処するのが難しくなるだろうことは容易に想像できるのだ。

というか、そもそもの話が、恐らく今いくら何を想定したところで、その通りに物事が動くことはないだろう。そんなのは、俺達が今の仕事を始めた時からわかりきっているのだ。何事も、全てが想像していたよりも上の事が起きているのだ。しかも、全く想像していなかった流れが起きたうえで。ほとんど全ての事がそんなふうにして仕事に繋がっていくので、もはや、俺達が何かを想定したところでその通りに動くことはないだろうというのだけは分かっているのだ。

とは言え、何も考えずに、起きた事に対処しようと思って何もしないという訳にはいかない。そうなると、ただの行き当たりばったりだから。そうではなくて、今できる事の中で、できうる限りの方法で仮説を立てておいて、それに対して準備をしておくことで、それを遥かに越えてくるものごとが起きたときでも、慌てずに対処できているから今があるのだ。

だから、考える。大事なのは、考えて備えておくこと。多分これだけだ。

新しい仕事をするにしても、想定していない事が起きるだろう。そして、それは予想しても予想しきることは、俺達じゃなくても不可能だ。それだけは分かっている。だけど、何が起きるかわからないけど、何が起きても良いように準備だけはしておこう。それしかできないし、それをやっておけば大丈夫なんだと信じて。