シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

万日どころか千日の稽古にも程遠いけどこれも鍛練の一つかもしれない


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気が重いと感じるときに自分の体に起きる変化に気付いた。

今日は、トレーニングの中でも最高にキツイ『脚の日』だ。トレーニングの王様とも呼ばれるスクワットがメニューの一番最初に待ち構えているからだ。

最近の俺はトレーニングの調子がとても良い。扱える重量がどんどん上がっている。だからこそ、あらゆるトレーニングが毎回キツくなっていっているのだ。扱える重量が増えるのはうれしい事だけど、その気持ちとは全く逆のベクトルで、毎回のトレーニングがとても憂鬱になってきているのだ。その最たるものが、スクワットだ。やっぱり王様と呼ばれるだけの事はある。とにかく、あらゆるトレーニングの中で一番キツイと感じるのだ。そして、ご多分に漏れず、スクワットも俺史上最高の重量を扱っている。1セット終わるごとに、息が上がり軽く目眩がするような感覚に襲われるくらいには軽い酸欠に陥るのだ。それを最低でも3セット行う。各セットに入る事を考えると、とにかく気持ちが憂鬱になるのだ。それでも、ジムに行ってしまって、スクワットラックの前に立ってしまえばある程度の覚悟は決まるのでまだ良いのだ。問題は、ジムに行く前。それも、ジムに行くまでにまだまだ時間のある、だけど、ジムに行くことを考える余裕のある時間帯、例えばその日のお昼休み中なんかが一番憂鬱になるのだ。

その時に、スクワットをすることを考えると、その一瞬だけ、一気に心拍数が跳ね上がるのを明確に体験できるのだ。バクンと音が聞こえるくらいに心拍数が上がる。これば、本当に嫌だと思っているんだろうなあと、自分の事ながらそう納得せざるを得ないくらいに理解できるのだ。それくらいに、心と体がはんのうしてしまう。

そんなに憂鬱な脚のトレーニングを今日もカッチリやってきたんだけど、あれだけ嫌だった脚のトレーニングも、やりはじめると途端に楽しくなってくるのだ。何しろ、セットを終えたときのあの達成感、あのギリギリの状態を乗り越えたという全能感。あんなに手軽に、己の壁を越えたり、達成を実感出来る事なんて、トレーニング以外には無いんだろうなあと思うのだ。何しろ、対戦相手は己だし、準備するものもいらないし、ジムに行くだけで良いのだ。しかも、いまはやりのサブスクで利用できる場所。こんなに手軽で、こんなに己を高められて、こんなに健康になれて、こんなに心身を鍛えられて、こんなにアンチエイジングできて、こんなに強くなれる。こんなに有用な事って他にあるんだろうか?いや、無い。そう断言できるのがトレーニングだ。

考えるだけで心拍数が上がるほどに嫌な事を、己の意志で乗り越えて、更に自分の中の弱さを克服して、己の限界を乗り越えて、自分の目標を達成する。それを、日々やり続けて、積み重ね続けていく。もはや、こんなにビジネスに生かせる体験は他には無いし、そもそもビジネスだけじゃなくて、人生に生かせるモノの中で最も身近で最も意味があって最も役に立つんじゃないだろうか。そんな事を、トレーニングする度に考えてしまうのだ。

そんな最近の俺の頭の中。その副産物として、痩せたり鍛えられたり強くなったりしてるんだなあと思っているのだ。やってる間に、段々と思考も変わってきたし目的も変わってきた。こうやって、自分が別の次元に変化していくのも、トレーニング=鍛練という意味で捉えると、まさにその通りなのかもしれないなあと感じているのだ。