シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

本日も張り切ってオーバーリミットと参りましょう


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起きた瞬間から体が重くて動くのが億劫だ。

デッドリフトの翌日はいつもこうなる。特に最近は、毎回重さが更新されているので常に未知の重さというのもある。とは言え、大した重さが増えているわけではないけど、それでも自分史上最重量を毎回挙げているのだ。気持ちとしては誇らしいし、とてもポジティブな気持ちのトレーニングができている。でも、翌日の体の事を考えると気持ちはとても重くなってくる。そんな事の繰り返しだ。

この日のトレーニングの一番最初にデッドリフトに取り組むんだけど、ウォーミングアップをしながら徐々に気持ちを盛り上げようと必死だ。だけど、重りを増やしていきながら、気持ちの重さがやってくる。そして、ウォーミングアップを終えて本番の重量にセットしている時の気持ちはと言えば、自分で自分を追い詰めている気持ちだ。逃げ道を無くし、やるしか無い状態にしたけれど、それは今までに体験したことの無いモノだ。怖いに決まっている。だけど、前回持ち上げた重りに本の少しだけプレートを加えただけなのだ。理論上は確実に持ち上がるはずなのだ。だけど、この重さを体感するのは俺の人生の中で初めて。その不安と、絶対に怪我だけはしないし、そのためにフォームをしっかり保つぞぞ!という強い決意を胸に秘め、この自分で設定しておきながらも苦痛に取り組まないといけないというセルフ理不尽とも言えるような状況に、怒りと同じような気持ちを抱きながら、全身に力を込めて床からバーベルを引っ張りあげる。1回、2回と挙げていく内に、段々と限界が近づくのが分かるけど、それを意思の力で乗り越える為に、頭の中で自分を鼓舞しながら、体から力を抜かないように全力でコントロールする。そして、何があってももう挙がらないという限界を迎えてそのセットを終える。

終わったあとの解放感と達成感は、毎回の事ながら本当に最高だ。これだけの事をやったんだから俺すげー!なんて一瞬の万能感を感じられるこのトレーニングが俺は好きだ。もちろん、こんな程度の重りを持ち上げたからってすごくもなんともないし、周りの人はそれよりも遥かに重たいモノを持ち上げているんだから、こんなのは一瞬だけの自己満足なのは重々承知だけど、俺の人生の中では最重量なんだから、俺の中でのその瞬間の俺は、間違いなく最高なのだ。それは他人がきめることでもなんでもなく、誰に「たいしたことねーな」と思われようが、俺にだけはハッキリと分かる俺の中の偉業達成の瞬間だし、俺が俺を好きになる理由でもあるのだ。

今書いていて分かったのは、だから俺はトレーニングが好きなんだということだ。

できればやりたくないと思うほどにツラく厳しい時間だけど、このトレーニングをすることで、やりきる事で、俺は今までに会ったことの無い自分に出会えるから好きなのだ。今までにできた事の無い事をクリアする自分を知れるから好きなのだ。そして、誰がなんと言おうと、世界中でただ一人だけその厳然たる事実を体感として知る人間である自分自身として存在できるからトレーニングが大好きなのだ。

だから、自分と同様に、己の限界にチャレンジしているトレーニーは好きだ。例え、今の体型がどうであれ、今扱っている重量がどうであれ、初心者だろうが上級者だろうが、己の限界にチャレンジしているその人達の姿はカッコいいと思うし、憧れる。俺もそうありたいと思う。そういう姿の人は、俺からするとみんな仲間にすら見えてくるのだ。こんなに身近に、こんなに気軽に、こんなに何度も、己の限界に向き合えて越えるための取り組みができる場所は他に無い。だから、ジムが好きなのだ。ジムに行くのが好きなのだ。

体が痛くても重くても、休息日じゃない限りはジムに行きたいし、きっと行くのだ。