シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

お前は一体誰なんだ?


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俺が通っているジムには、仲間もみんな通っている。

仕事終わりにジムに行くので、大体みんなそろうのだ。
だけど、トレーニングはそれぞれで行う。一緒にトレーニングをする事はほぼ無い。それぞれがそれぞれのメニューをこなす。そして、終わったらそれぞれ帰っていく。なので、一緒にジムに行っているという感覚ではなく、同じジムに通っていてタイミングが合えば顔をあわせる事がある。そんな感覚。

セット間の休憩時に、ふと見ると仲間が必死の表情でトレーニングをしているのを見る事がある。その瞬間が結構好きだ。一人の人間の必死の表情なんて、普段あまり見ることが無い。仕事で四六時中一緒にいても必死の表情を見ることはほぼ無いだろう。でも、トレーニングを真剣にやっている人は大体必死の表情になるものだ。何故なら、重りを挙げて筋肉に効かせる事に全神経を集中しているので、自分の表情にまで気を配っている余裕は無いからだ。逆に言うと、必死の表情にならない人は何かの理由で余裕を持った状態でトレーニングをしているはずだ。例えば、「必死な顔でトレーニングをするのは恥ずかしい」とか。

でも、その時自分が取り組んでいることに真剣に必死に向き合う姿はカッコいいと俺は思う。その瞬間に真剣に必死に取り組んでいない姿は、例えどんなにスマートでスタイリッシュだとしても、そんなの全然カッコいいとは思えないのだ。

歯を喰いしばって、眉をひそめて、苦痛に表情を歪めて、自分の限界に挑戦しているその姿は、それが誰であってもカッコいい。更にそれが自分に近しい人、例えば自分の仲間だとしたら、カッコいいし誇らしいと思う。そんな心持ちで、セット間に仲間を見ている事がある。

そうして、自分も次のセットに全身全霊で全力で臨むのだ。

そんな時、目の前の鏡には『苦痛で今にも泣き出しそうな半ベソ状態のオッサンの顔』が映り込む事がよくあるのだ。
余りにもみっともない表情のオッサンなので、セットが終わったあとに周りを見渡すんだけど、その時にはもういないのだ。
もちろん今日もデットリフトの最中に正面の鏡に映り込んできたのだ。そして終わったらもういなくなっているのだ。

きっと、またトレーニングしている時には出現するんだろう。

一体あのオッサンは誰なんだろうか?