シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

新しい世界が見えるまでは、トランキーロ!あっっっせんなよ!


f:id:shiotapathos:20190206082526j:image

 

最近、トレーニングのやり方を変えてから体のダメージが大きい。疲労を強く感じるのだ。

と言っても、トレーニング自体のセット数は減ったし、セット間の休憩は長めに取ってるし、トレーニング時間は短くなった。
だから、体のダメージは
早めに抜けるのかな?なんて、ふんわり考えていたら、とんでもない。
翌日のダメージが、デカイのだ。

重量にこだわって、フォームにこだわって、1セットの中で追い込むと、こんなにもダメージがあるのかとびっくりしてる。それと同時に、今まで自分がやってきたトレーニングは一体何だったんだろうと思って、愕然としているところだ。

曲がりなりにも、今までやっていたトレーニングでもそれなりに体の変化という結果はついてきていた。このまま行けば、それなりに"いいカラダ"にはなるんだろうな、という予想が立つ位にはなっていた。扱える重量も伸びていたし、そのままでも良かったのかもしれなかった。ただ、一回のトレーニングにかかる時間がちょっとずつ延びていってしまうという所がネックになっていた。

どうしても、「あともう少しやるか」という感じで、1ヶ所を追い込み切るまでにセット数が増えてしまっていた。
でも、今はセット数を固定して、それ以上はやらない。但し、そのセット数の中では妥協せずに必ず回数をやりきる。そういう方法に変えた。

こんな方法に変えた結果が今だ。

まだまだ今のやり方に慣れてないので、最初は「もうちょっとできるんじゃないかな?」なんて思いながらジムから帰る事もあったけど、今考えるとそらは、追い込みきれてなかっただけだった。
しっかり追い込めば、もうできないし、翌日の疲労度は、半端じゃない。

ようやく、この歳になって、「休息もトレーニングの内だ」という言葉が実感できたかもしれない。

今考えると、自分には、量が必要な時期も間違いなくあった。これは断言できる。そのお陰で、手にはいったモノが色々あるからだ。それがあっての、今、質が大切だという事がより理解できた。

量から質への転換というパラダイムシフトが起きた。そのキッカケが、自分の疲労というカッコ悪さ。そんなショッパさも、我ながらなかなか気に入ってるのだ。