言葉はいつだって誰かから贈られるのだ
『権利と義務』の世界で生きるか、
『贈与』の世界で生きるか。
はたから見ると起きてることは同じように見えるかもしれないけど、当事者の間に起きる事は全く変わってくる。
ついこの前もこんな事を書いたけど、やっぱり、会社に行くと様々な人からこの違いをとても強く感じるのだ。
人によってこの違いがあるけれど、個人の好みの違いとは全く別な括りだろう。
恐らく、それまでの生き方で決まってくるのだと思う。
でも、途中でこのスタンスが変わる人を目の当たりにもしているので、一度そうなったらずっと固定という訳でもなさそうだ。
だからと言って、誰もが別のスタンスを手に入れられる訳でもないようだ。
そして、『権利と義務』の世界で生きてる人達はセワシナイ。そして、とても窮屈そうに見える。世界が狭そうだし、度量も狭いように感じる。
『贈与』の世界で生きてる人達は、とても自由に見える。何しろ、楽しそうだ。
俺にとっては、『贈与』の世界の方が魅力的に見える。
だから、俺はもう戻らないと思う。
『権利と義務』の世界には。
贈与で成り立つ世界の方が居心地が良いのだ。厳しいけど、生きてる実感を強く感じるのだ。
覚悟を持って、自由に生きる方が、人生をとても楽しいと感じられる事を実感している今日この頃。