シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

マイクを持ったらきっとこんな調子でしゃべり続けるであろう本日のテンション

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今日は会社を休んだ。

 

と言っても、特に体調不良というわけでは無い。

先日、休日出勤した振替で休みを取ったのだ。

 

この休みを利用して、とあるところに出かけてきた。

今後の俺の、いや、俺を含めた何人もの未来に関わる大事な用件の為だ。

 

出かけてみて思った事は、

『何事もやってみない事にはさっぱり分からない』という事だ。

 

まあ、とても当たり前と言えば当たり前なんだけど。

今まで、何かにつけて「具体的に行動する必要がある」と自分自身にはもちろん、社内外問わず色んな人にも偉そうに講釈を垂れてきた覚えが山ほどあるけど、“具体的な行動“とやらが何なのかは、それこそ”具体的な行動“をしていく事でしか見えてこない。という事が、今日、あらためて実感できた。

 

もう一つのあらためての発見としては、

『知らない事を知って理解するには専門家に助力を仰ぐべき』という事だ。

やっぱり知ってる人の話は分かりやすい。そして、こちらが分からない事が何なのかを把握してもらう事ができる。もちろん、“その人が優しい人であれば“というのは必要になってくるけど、まずは自分が何について「分からないなあ…」と思ってるのかすら分かっていなかったという事が明確に分かったのが今日の大きな収穫だ。それが分かれば、ある程度は自分で調べる事が可能になる。だけど、そこが明確にならなければ、自分で調べようと思っても何から手を着けてよいのか分からず、手を着けた結果、知識がぐちゃぐちゃに迷走して、結局何だか分からないまま苦手意識が膨らんでいって、必要な事なのにどんどんそこと距離が遠くなってしまって最終的には近づく事すら億劫になって遠退いていってしまうのだ。そういう事が、過去を思い出すと多々あった。

 

きっと、今までの俺だったら、ダメなパターンに嵌まってしまって結局何も進まずに、「あー、俺ってやっぱりダメなんだな。やりたい事も上手くできずにダメになっていくんだなあ」なんて自虐をして終わりにしてたんだと思う。

だけど、

もはや、そんなモノで終わりにできる程の軽さでは無いのだ。

文字通り、“死活問題”なのだ。

だからこそ、絶対に何が何でもやらないとならないのだ。

そもそも俺一人の話だけではないのだから。

「あーあ、またダメだったな」なんて言ってられたのは俺一人だけの問題でありそれ位の軽さしか無かったという事の証明でもあるのだ。

 

 

「全然わかんねーや」

だからどうした?

 

「すげーダメだしされまくった」

だからどうした?

 

「何にも考えてないって思われたかも」

だからどうした?

 

「甘々だしザルだなこりゃって言われたも同然だ」

だからどうした?

 

 

いーか、オイ、よく聞けよ。

そんなもん全て想定の範囲内だ。

そこから始まるから面白いんじゃねーか。

全てのスタートはそれでいいんだよ。

 

なんでかって?

 

「誰でも最初は初心者」なんだよ。

知ってなきゃできない?

分かってないと無謀?

素人が手を出すな?

 

んなこたぁどーだっていーんだよ!

 

こんなもん全部まとめて引っ繰るめて熨斗つけて叩き返してやるよ。

最後まで、目ん玉おっぴろげてよく見とけよ。

一瞬も見逃すんじゃねーぞ。

目にモノ見せてやるからよ。

 

 

 

最後に一言だけ言わせてくれ。

 

 

 

なにごとも

やってみなけりゃ

わからない

知らん事なら

プロに聞くべし

そのうち俺が

先導するから

詠み人:シオタ

 

 

それだけだ。