3大欲求のうちの1つについて考えた
昨日の晩、久しぶりに食べた『よっちゃんのす漬けいか』。
以前は、仕事帰りにスーパーに寄り、『ビール+つまみ』を買うルーティーンが日常に組み込まれていた。スーパーに寄るのは冷蔵庫の中のビールが無くなりそうになったら。
お酒を止める直前頃のペースはかなりひどくて、ほぼ毎日スーパーに寄っていた事になる。その時のつまみのローテーションに、『よっちゃんのす漬けいか』が入っていた。これをつまみに、ビールからの焼酎によって、単独での家飲みで酩酊するまで飲んでいた。
その時以来、久々に食べてみた。
ビールは飲まずすっかりノンアル生活が続いているが、このノンアルコール飲料がたいがいの料理には合うのだ。和洋中どれでもほぼ大丈夫だったし、枝豆との組み合わせも何の違和感も無かった。
なので、あの頃好きだったおつまみにも当然合うだろうと思ったのだ。
『よっちゃんのす漬けいか』食べた事が無い人に説明すると、いや、説明するまでもなく写真と商品名からイメージされる味そのままだ。俺の場合は、イメージより少し『酢』が強く味が濃かったが、ほんとにイメージ通りの味なのだ。
なので、この写真と商品名からこの味が想像できる人達は、例え食べた事が無いとしても、この商品をイメージできる材料を自分の中に持っているという事なので、その味が嫌いだったり苦手だったりしなければ、おつまみとしてだけじゃなく、おやつとして食べても美味しいと感じるだろう。
そんな感じで、ホントに何の気なしに、ノンアル飲料と一緒におつまみとして食べたのだ。
味は良く知っている味なので俺の好みである。
たった数カ月しか経っていないにも関わらず、懐かしささえ感じた。
だけど、あの頃の様には食べられなかった。
以下の足を何本か食べて、それ以上は進まなかった。
まだお酒を飲んでいた頃は、濃い目の味とアルコールの相乗効果で食欲が増進されていたのかもしれない。ビールを飲めばつまみが食べたくなり、つまみを食べればビールで口の中を流したくなる、という最強のループを繰り返して、いつのまにか140gも入っているこの商品が一晩で空になるというのは日常茶飯事だった。
だけど、ノンアル飲料ではそんな事は起きなかった。
むしろ、食べてる途中で飽きてきてしまってそれ以上食べられないような状態だ。
もちろん、この味は好きだし美味しいと感じるのは今でも変わらない。
でも、それ以外のモノが変わったのだろう。
それ以外のモノというのは、この商品についてではなくて、それを食べる俺についてだ。
一番は、アルコールによって過剰な食欲増進がセーブされた。
そして、アルコールを摂取しないので食欲の制御が正常に機能する事で「もういらない」という脳みそのメッセージに体が素直に従うようになった。
その結果、年齢相応の食事量がずっと続いている。
以前のように、突発的にとんでもない量の食事をする事がなくなった。
結果、摂取カロリーがあまり高くならずに済んでいる。
そして、恐らくこれに関連するんだと思われる追加の変化もある。
「いろんなものをちょっとずつ食べたい」という欲求が自分の中から最近湧いてきているのだ。
これが、俺の中での一番大きな変化だ。
以前は、「好きなモノを好きなだけ食べたい」というのが食事の優先順位で一番高かった。
それが叶わないときは栄養補給が目的になっていた。
だけど、今は、「色んな楽しみ方ができるとラッキー」という事を考えるようになった。
その結果、色んなモノがちょこちょこ入っているお弁当のような物が好きになりつつあるし、ごはんを食べに行っても色んな物が入っている定食的な物を選ぼうかなと考える場面が多く、メニューで迷う事が出てきた。
40代になって食事の位置づけが変わってきた。
それを実感する場面がたくさんある。
もちろん、これは俺の中の変化なので特に誰かに影響を与えたりするものじゃなく、自分だけに関わる事なんだけど、これが良い事なのか悪い事なのか、自分にとってどういう意味を持つ事なのか、今後どんな意味付けをするべきなのか、今はまだ何にもわからない。
ただ、「食事が楽しみ」と言う言葉の意味が少し分かった気がするのだ。
そんな、自分自身に対する変化を自分で発見したのでブログに残しておこうと思って今書いている。
書いていて思ったのは、これもやっぱり受け取る自分の受け取り方次第だったという事なのかな。
昔も今も、食べ物やそのメニューはそれ自体として存在していて、ただ、「選んだり食べたりする俺」がその存在に対して、「食事」という行為に対して、どんな事を考えてそれらからどんな意味を受け取っていたのかというだけの話なのかな。
今日の晩御飯は、栗ご飯と豚汁と焼き魚。とっても美味しく大満足だった。
前は、「栗ご飯より白いご飯がいいなあ」なんて思って、栗ご飯を進んで食べる機会は少なかったけど、今日は自らおかわりまでしてしまった。
白いごはんも美味しいけど、栗が炊き込まれた事で味が複雑になって、より美味しく食べられた。
豚汁も具がたくさん入っていて、それだけでおかずになってしまうボリュームと存在感がり、更にそれぞれの野菜や肉自体のおいしさと、その出汁が混ざり合ったスープが抜群に美味しかった。
それに加えて、焼き魚があるなんて。
贅沢の極みだ。
こんな事を、食事中に思いながら食べていた。
メニューとしては取り立てて贅沢な内容ではなく、もしかしたら世間一般的には質素な内容かもしれないけど、シオタ家では極めて一般的である食事内容なんだけど、個人的には物凄く満足度の高い晩御飯だった。
そして、ここまで書いて「食事ってめんどくさい作業」だと考えていた事すらあるというのを、今思い出した。
「めんどくさい作業」とするのか。
「数少ない楽しみな行事」とするのか。
40代になって、また一つ楽しみな事が増えた。
俺の、変化というか、進化は止まらない。