シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

追悼 山本”KID”徳郁 選手

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山本“KID”徳郁が亡くなった。

「家では禁酒」の禁を破り、彼に、献杯しながら、今このブログを書いている。 

 

彼の訃報は、KIDの所属ジムの公式ツイッターの発信で知った。

 

彼とは顔見知りだったわけでもなく、直接お会いして会話をした事も無い。

ただ、同じ格闘技をやっていた事があるというだけ。

とは言え、彼は鳴り物入りでプロになったスター選手で、俺は一介のアマチュア選手。

彼との接点はどこにも無い。自分との唯一の類似点は、年齢が近いというだけ。

 

でも、彼の格闘家としての活躍は彼がアマチュア時代からずっと身近に感じていた。

 

彼がプロ入りを決めた時のトーナメントには、俺が所属していたジムの選手が出ていた。

俺は、その同門の選手にいつもボコられていた。

その同門の選手なら、「このトーナメント優勝するんじゃないかな」そんな事を考えていた。

だけど、現実はそうではなかった。

俺がどう逆立ちしたって到底敵わないその同門の選手に、

ぶっちぎりの強さで圧勝してトーナメントに優勝した選手がいた。

というか、参加選手全てに圧勝して優勝していたのだ。

それが、彼、山本“KID”徳郁だった。

 

そんな雲の上の存在。

 

そこから彼の活躍は、日本全国の格闘技ファンの知るところだ。

当時の格闘技ブームを知る人達がいれば、彼の活躍がそのブームを牽引していた事は誰でもが認めるところだろう。

無類の強さを誇る彼のファンはとても多かった。

と同時に、

彼の事があまり好きではない格闘技ファンも多かった。

 

かく言う俺も、“彼の事をあまり好きではないファン”の内の1人だった。

とは言え、彼のファイトは、そんな所謂“アンチ”すらも納得せざるを得ない試合ぶりだった。

あまりの凄さに。

 

彼が自分自身を“神の子“と嘯いた時も、

「あの強さなら、そうだよな」と誰もを納得させてしまう説得力に溢れていた。

 

TV地上波での格闘技番組での活躍。

総合格闘技だけに留まらず、立ち技のK-1でも活躍した。

その当時は、誰もやっていない事ばかりを、易々とやってのけるその姿。

まさに時代の寵児

格闘技界の麒麟児。

格闘の神の子。

それらの呼び方が相応しいと万人が納得した。

 

そんな彼が、最も活躍して勢いがあった頃、

俺は、彼の事があまり好きではなかった。

その物言い、その態度。

強い事で全て許されるようなそんなイメージを彼に抱いていた。

 

だけど、逆に言えば、

それだけ、気になる存在だったのだ。

 

彼との接点は皆無だ。

ただ、年齢が近くて同じ格闘技をしていたというだけ。

 

 

だけど、彼を見るたびにこんな事を思っていた。

 

彼のように強くなりたいと思っていた。

彼のように活躍する事を夢見ていた。

彼の活躍を楽しみにしていた。

彼の雄姿が世界に認められる事を期待していた。

彼の復活を心待ちにしていた。

彼が再び闘う姿を待っていた。

彼の元気な姿をもう一度見たかった。

 

 

 

享年41歳。

また一人、偉大な人が早々と逝ってしまった。

 

彼がどんな思いで闘病していたのか、俺には何も分からない。

病気が癌だったというメディアの報道でしか彼の病気の事を知らない。

だからなのか、だけどなのか、彼の訃報を知った時に感情が動いた。

 

訃報を知った時に感じた自分の感情が何だったのかは、いまだにわからない。

彼との何の接点も持っていない人間が言う事じゃないのかもしれないけど、何か分からないけど、自分の中の何かを何処かの部分を失った喪失感に似ているこの感覚。

哀しみなのか、悔しさなのか、なんなのか。

 

ただ一つ言えるのは、

彼の試合をもう二度と見る事ができないのかと思うと、

とても寂しい気持ちがする。

 

「あまり好きではなかった」なんて言いながらも、「とても寂しい」と言うこの身勝手さ。我ながら、なんなんだと思う部分もあるけど、でも、本当にそう思うんだから仕方がない。同世代だから一際そう感じるのかもしれないけど、とても寂しい。

 

今から考えると、同年代の、レベルは違えども、同じ世界に身を置いた男として、きっと彼に憧れていたんだろうなと今は思う。

 

 

偉大な格闘家、山本“KID”徳郁選手のご冥福を心よりお祈り申し上げます。