シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

セルフリミッター機能が高性能なのだ

先日、新人が入社してくることになった。
20代の若者だ。この人手不足のご時世に、ウチの会社はそれ程困ること無く採用ができている。実は、あまり喜ばしい事ばかりではないのだけど、その辺りの事情はまた今度に譲るとして。

今回は、その新人の教育係の大役を任されたR さんと、そのサポート役のT 君の話だ。

R さんが、新人を迎え入れる為に諸々の準備を整えていた時の事。ウチの会社は、教育係にあたる社員が、新人のデスク回りやロッカーなどの手配を行う事になっているのだ。R さんもT君も入社した時には同じ様に迎え入れられているのだ。してもらった事を、今度はしてあげる 側に回る。ていうのは後付けの理由で、実のところ、各店舗毎に必要なものや受け入れ体制が異なる部分が大きいので、会社にとって都合が良いという側面が強いのだろう。

そんな準備をR さんがメインで進めていた。T 君はサポート役なのでR さんからの指示があればヘルプを行うという役回りだ。

そんな、準備に走り回っているR さんから、T 君にこんな指示が出た。

「ロッカーに貼る新人さんのネーム札を、テプラで作って下さい」

そして、T 君はテプラでネーム札を作った。作って、持っていた。作って、ずっと持っていたのだ。
新人が"入社してきた"その日を迎えても、ずっと。

新人が入社してきたその朝、ロッカールームへの案内をする。当然だ。今、入社している全ての社員が同じ様に迎え入れられている。(あ、正確には、俺はその中に入っていないのだけど、その話もまたいずれ)

ロッカールームに案内したのが俺だったので、この事案が発覚した時には驚いた。まさか、入社当日にロッカーにネーム札が貼っていないなんて。とりあえず、適当に話をして、その場は取り繕ったが、その後教育係のR さんには強めに注意をした。

だが、実際には、T 君が指示を受けてテプラを作って手元に置いていたのだ。

「指示が、作る事までしか言及していないのが問題だ」「指示の出し方に問題がある」そんな指摘が聞こえて来る前に伝えておきたいのは、新人を迎え入れる際のやることリスト的なモノである所謂『マニュアル』は存在するのだ。
その上で、T 君はこう言った。

「作れという事までしか言われなかったので。それを何に使うのか、それを何の為に作るのか、考えが及びませんでした」

ちなみに、彼は、高校は県内有数の進学高から某国立大学の理系に行った所謂勉強のできる優等生だ。趣味は将棋で、趣味ながらもかなりの腕前らしく、段位取得も夢ではないようだ。読書家でもあるらしくかなりの量の本を読み、語彙も豊富で、物事の説明も理路整然としている。いわゆる、頭脳は優秀なはずで、思考力もあるはずなのだ。そんな彼でも、「テプラを作って持っておくだけ」という行動をする。

これはもはや、考える力の有り無しではない。考える力を使うかどうかの話だ。

つまり、『己が持てる全ての力を動員するという事を惜しむのが仕事のできない人』であるという事が言えるのだ。
そして、この『惜しむ人』は、『仕事』という概念について考える事をしない。「考えを持っているか?」と問えば、どこかで聞いたような定型の言葉しか言わないはずだ。それを、さも自分が考えた言葉の如く。

この事からも、彼らは『惜しむ人』だと言えるのだ。

考える事を惜しむ人達は、仕事を「やらされている」とか「言われたことをこなす」とか「時間を拘束されて対価をもらう」という風に考えている人がほとんどだ。これは考える事を惜しむからこそ、思考停止した結果出てくる台詞だ。

惜しむなら、惜しんだだけのモノしか自分は手に入れる事ができない。

 

大人になるには、
仕事ができる人になるには、
カッコイイ自分になるには、

『惜しみ無く全力を出す』

とても単純明快で、物凄く難しい。
だけど、
これしか無いのだ。