シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

ただ運が良かっただけなのだから


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8年前、あの地震が起きる少し前まで、俺は海の目の前のとある建物の中で仕事をしていた。
いつものように仕事を終えて、そこから車で移動してる時に、地震に遭った。

最初は、運転している車のタイヤがバーストしたのかと思って路肩に車を停めた。走っているのに車がガタガタしていたからそう思ったのだ。だけど、それまでにタイヤがバーストした事なんてないのだ。何でバーストしたと思ったのかは今でも良くわからない。
ところが、停車しても車のガタガタはおさまらず、周りを見ると他の車も停車していた。そこで、はじめて地震なんだなと思い至った。そんな勘違いを起こす程の、未知レベルの揺れだった。

そして、経験した事のないほど長い揺れがおさまった時には、目の前の道路が割れ、割れた隙間から水が吹き出し、目の前のコンビニの電気は消え、視界に入る全ての信号から光が消えた。
その景色でようやく、ただ事じゃないという事に気がついた。

次の揺れが来たときには、この世界が終わるのかもしれないなんて事を考えてしまったので、かなりの恐怖を感じていたんだと思う。

普段なら1時間程度の道のりを、10時間かかって家に帰ったときには深夜になっていた。帰り道、全然動かない車の中で情報収集のためにつけていたテレビからは、到底信じられないような、この世の終わりのような光景が次々と映し出されていて、その合間に家族に電話をかけるも全く繋がらず、誰の安否も確認出来ないまま家に帰り着き、家族が平然としていた姿を見て安堵のあまり涙が勝手に出てきたのには自分で驚いた。

後日、俺が仕事をしてきた海辺の建物の1階部分は津波で全て浸水し、俺が車を停めていた駐車場にあった車は津波にさらわれて、それらの車は全てダメになったという事だった。

幸い、俺の周りでは地震による被害で怪我をしたり亡くなったりした人はいなかった。そして、俺も運良く何事もなく生きている。だけど、あと少しあの海辺の建物を出発する時間が遅かったら、恐らく俺は今ここに居なかったのだ。

あの日以来、「今日と同じ明日は来ない」という事をよく考える。

あの時、運良く生きていたのだから、この命を何に使うのかをあらためて良く良く考える必要がある。

あれから8年経った今、そんな事を毎日のように考えている。