シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

平和を望むとこんな風に考えるのが自然なのかもしれない


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闘いに臨む為の心持ちは疲れる。

自分に敵意を向けてくる相手と対峙しなければいけない状況、すなわちそれは闘いだ。

闘いに臨むという事は、生存する必要があるという事だ。つまり、その時相手が俺への敵意によって叶えようとしている事を、叶わないようにする事が、生存する事であり、闘いの目的でもある。

敵意を向けてくる相手の望む状態にならない。それを阻止する。そうしなければ、こちらの生存が脅かされるのだ。だから、何がなんでも生存する為に全力を傾ける。

その結果、当初狙っていた『円満解決』に至らなかったとしても。
その結果、相手が俺に対してよりマイナスの感情を抱くことになったとしても。
最終的に、俺の生存が約束されればそれで無問題なのだ。

生存が約束されるならば、円満で良好な関係じゃなくてもかまわない。今後一生接触する事が無くなるのなら、相手の要望を飲まずに突っぱねてもかまわない。相手の要望を飲むことが、俺にとっての『死』と同様の意味を持つことならば、そんな要求は全て突っぱねる。

それくらいの覚悟は持って生きている。

俺の事を、ナメてかかるのも、下に見るのも、扱き下ろすのも、そんなのはどうぞ自由にやって下さい。
だけど、俺を自由に使って思い通りに操ろうとするならば、貴様も覚悟を固めて来いよ。それなりの代償は用意しといた方が良いと思うぜ。

そうでないと、大怪我するだけじゃ済まなくなるかもしれないよ。

そんな風に思って生きてるから、闘いに臨むという為の心持ちは、とても疲れるのだ。

願わくば、誰とも闘わずに済むとありがたいと思っている。実のところ、俺は、永世中立国のような平和主義者なのだと思っているのだ。