シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

客観視が一番必要な人の為に


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この世界に数多いる経営者の『思考のクセ』が少し見えてきた気がする。

今からする話の大前提は、あくまでも“経営者の大多数”という事であって、間違っても“全ての経営者”について話をしているわけではない。どうか誤解のなきように。
と、事前に予防線を張ったところで本題に入る。

冒頭に書いた経営者の思考のクセとは何なのか?

それは、「大多数の経営者は、ほとんどの事をカネに換算して考える」という事だ。
これを読んで、「いまさら何を当たり前の事を」「そんなの当然だろ」と思う人もたくさんいると思う。

だけど、これは本当に当然なんだろうか?

例えば、会社運営をするうえでかかるカネがある。その中には、人件費がある。これはそのまま、人を雇った事で人にかかるカネとして計上される。もちろん、物を購入したり仕入れをしたりすれば経費として経常され、設備を導入すれば設備費として計上される。それらは全てコストと呼ばれている。

さて、ここまで書いた内容はいわゆる当然の話として世の中では通用している。でも、この中にとてつもなく大きな違和感を発している箇所が一つありはしないだろうか?もちろん、世の中では上の話の内容に違和感があると言う人は「おかしな事を言うヤツ」と認定されるのは間違いない。だけど、俺から見たら違和感しかないのだ。

俺が違和感として受けとる箇所。それは、人を雇う事がコストとして計上されている事に他ならない。

コストの意味を調べたらこう書いてあった。

『コスト』
① 商品を生産するために必要な費用。原価。生産費。② 物の値段。

つまり、経営者から見たら、人を雇う事も原料や材料の仕入れも設備投資も電気ガス水道の料金もガソリン代も全て同じと見なしているという事だ。

人を雇う事がコスト。であれば、人の育成や教育にかける費用もコストだし、社内の人間関係を調整したりする事や、人の感情もコストだという事だ。
これが、『経済』や『経営』では当たり前とされている。いわゆる資本家の論理なのだろう。当たり前の事だとされている。

だけど、人を雇うという事の本来の意味は、経営者にはできない事を代わりにやって欲しいからできる人に手伝ってもらうという事なんじゃないのか?
もちろん、この時の「経営者にはできない事」という言葉の中には、様々な意味が含まれるのは今更説明するまでもないだろう。である以上、これをコストと言うのはおかしいだろう。何故なら、様々な事情を考慮したうえで「経営者にはできない事」を手伝ってもらう為に雇っているのだから、そもそもこれは「必要な費用」ではないのだ。自分ではやりたくても(様々な理由があって)それができないので、お願いして手伝ってもらう為のお礼の気持ちと、その人が生み出す価値に対する対価なんじゃないのか。

だから、そもそも『人件費』なんていう名称がおかしいのだ。これはコストじゃない。

テメーでできるんならテメーでやれ。
できねーから人に手伝ってもらってるんだろうが。それを偉そうに「人件費がかかるんだよ」とか言ってるんじゃねーよ。人に払うお金を、コストなんてヌカしてる時点で、経営だの経済だの資本主義だの市場の論理だのと言った既存の概念に凝り固まって寄り掛かってるだけの、テメーの頭でろくに物を考えられないヤツだと表明してる事になるんじゃねーのか?少しは、その賢いはずの頭で考えてみたらどうなのよ?もちろん、賢い経営者だったら、人に払うお金で頭を悩ませてるはずはないだろうから、こんな話は全然関係無いと思うんだ。

経営者なんて別に偉くも何ともないのだ。ただ成し遂げたいことが自分一人の力じゃ叶えられなくて誰かの力を借してほしいと言っている弱い存在なのだ。

あとは、それに気づいてるかどうかだけなんだろう。気づいてなければ、冒頭の『思考のクセ』が顕著に出てくるだけなのだ。

と、自戒の意味を込めてここに記す。

今日、書いた内容は、もちろん自分に向けての言葉ですよ。