ぐるぐるごろごろ
まるで回転体のようにぐるぐると回る。回って回って回り続けて、継続してゆく。
例えば、坂道を転がって行く雪玉のように。小さい雪玉が転がって行く事によって徐々に大きくなって行くように。
はたまた、川の上流に元々あった大岩が川の流れによって段々と下流に運ばれて行き少しずつ少しずつ削られて徐々に角がとれて丸く艶々としてゆくように。
いずれにしても、回り続けて動きを止めなかった結果、生じた変化だ。
どっちが良いのか悪いのか、それは動き続けた側の者が判断する事じゃないのかもしれない。後々その結果を見たどこかの誰かが、どんな感想を持つかで変わってくる。そんなとてつもなくあやふやなモノだ。
つまり、どうでも良いのかもしれない。
動き続けて転がって回り続けているモノからしたら、いつかどこかの誰かが宣う評価なんて勝手にしてもらえば良くて、そんなものどうでも良いのかもしれないのだ。それよりも、転がって大きくなったり磨かれていったりする事の方が重要なのかもしれない。いや、もしかしたら、『動いている』その事実だけが重要なのかもしれない。
何でかって?
そんなの決まってる。
ただ、楽しいからだ。
動いて、ぐるぐると何らかのサイクルが回っている実感は本当に楽しい。
結果は何をどれだけ言ったって時間が経たなきゃ分からないし、いくら狙っていたって、運やら縁やらそんなものも介在するので、極論するとただの結果論だからあまり意味がないだろう。
だけど、ぐるぐるとサイクルを回していくのは実感として楽しい。
これは、実感なのでその瞬間の出来事だ。運も縁も関係なく、今この瞬間の連続が楽しいのだ。そこには自分が介在して動いている、動かしているという確かな感覚がある。それこそ充実と呼ぶべきモノかもしれない。
楽しい。
これだけで、色んな事がOKな気がするのだ。