シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

ポンコツもガラクタも実は使い途次第かもしれないのだ


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俺は一体何の役に立つんだろう?

そんな事をずっと考えている気がする。フリーターだった時も、日雇いドカタだった時も、引きこもっていた時も、派遣で働いてた時も、会社員だった時も、中間管理職だった時も、経営者になった今でもずっと。もっと言えば、学生だった時もずっと考えていたような気もする。

それだけ考えてきた事に、今日一つの答えが出た。

仲間と仕事終わりに話をしていて、ふと口を突いて出た言葉だったけど、言った後に自分自身がとても腑に落ちた言葉だった。

今までずっと、「俺には何にも無い」と思ってた。勉強も出来なければ人に誇れる学歴も無ければお金も無いし、これと言った資格も無ければ人脈も無いし輝かしいキャリアも無い。資産も無ければ錯覚資産も無い。これは客観的な事実としての話だから仕方ない。逆の意味で、積み上げてきた実績と言うヤツなのだ。事実、他人からもそう言われてきたし、そう扱われてきた。身内からも友達からも知り合いからもアカの他人からも多くの人からそう扱われてきた。所謂“オチコボレ”として。そして、自分でもそれを強化してきてなしまったんだと思う。「こういう結果が出たし、人にもそう言われたし、そう扱われたんだからさ」って。

でも、どこかで自分の事を信じてあげたい気持ちも持っていたのは間違いない。自分の可能性がどこかにあるんじゃないかって思っていたし、そう思いたかったから。最後の最後で、自分に対して諦めきれない気持ちがあったんじゃないかって、今はそう思う。

だから出てきた言葉なのかもしれない。

「俺は、一人じゃ何も出来ない。でも、人と話をする事で、お互いに一人じゃ絶対に辿り着けない次元に思考を飛躍させる事ができる。そのためのブーストをかける事ができる。その力が俺にはあるって確信を持ってる」

何だか訳が分からない事を書いているなあと思われるかもしれないけど、これが俺の口を突いて出た、俺には一番しっくりくる言葉だった。そして、俺の仲間にはこの事を分かってもらえるはずなのだ。間違いなく、この実感があるはずだから。

これを話した事でスッキリした。今までの自分に納得したのだ。

俺は自分の実績は何も無い。一人で自走しても本当にどうにもならない微弱な力しかない。それは紛れもない事実だ。ただのショボいオッサンだ。だけど、仲間がいれば、その力を借りて一気に違う段階に持っていく事ができる。自分でも想像できなかったような次元に進めるのだ。これも紛れもない事実なのだ。

きっとこの話はほとんどの人に理解してもらえないだろし、信じてもらえないだろうと思う位の分別は俺にもある。ただ少しだけ例外に該当する人達が存在するという事実を除いて。その例外は、俺と一緒に話をして思考する事で別の次元を体感した俺の仲間達の事だ。

こう書いていると、まるでスピリチュアルな話に聞こえてくるようだけど、俺達が行っているのはただの対話だ。その対話は全てがとても論理的で、且つ、思考の飛躍が体験できるとても楽しい体験なのだ。お互いの思考を、恐らく俺達以外にはついてくる事ができないだろうスピードで掛け合いをしながらどんどん登っていく感じと言うか。でも、そんな事が本当にあるんだろうか?そんな力がこの世界に本当にあるんだろうか?俄には信じられないような話かもしれないけど、これは本当にある事だし、その力は本当に存在するのだ。

長い間俺が抱えてきた冒頭の問いは、今ならこう答えられる。
「確実にできる事があるし、他人のブースターとして役に立つ」
今は、自分についてそう信じているし、自分でも想像すら出来ない次元までいける事が多々あるので俺達には可能性が無限にあるという事が、荒唐無稽に聞こえるかもしれないけど、そんな未来を確実に信じているのだ。