シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

あたらしい呪文をおぼえた「ダウト!」


f:id:shiotapathos:20190710224407j:image

 

何かの基準があるとして、その基準に則って物事の正否の判断はやりやすくなる。当たり前の話だ。

じゃあ、何かの基準が一つの物事について複数ある場合はどうだろう?更に、自分が把握できている基準以外の基準が存在するとしたら?更に、自分以外の人の大半が採用している基準が自分の全く知らない基準だとしたら?
それはもう大混乱だろう。何をどう判断したら良いのか分からない。大パニックだ。

そんな訳の分からないグッチャグチャのこんな状態とよく似ているのが、実はこの世界なんじゃないのか?誰もが何の基準で判断して進んでいるのかが実は誰とも共有できていないのかもしれない。

「いや、そんなことねーよ。しっかりした基準もって生きてるよ自分とその周りは」と思う人がいたとしたら、まず疑ってみることをおすすめします。

その基準を。
その基準を採用した誰かを。
それらを採用すると決めた時のその思考を。
そして、
その思考を今まで疑う事をしなかったその判断の基になっているであろう自分自身の内側を。

それからでも良いのかもしれないんじゃないでしょうか?どの基準を採用する事にするか決めるのは。

 


そんな事を今日思ったので、忘れないように書いておこう。

自分の為に。