シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

ごめんなさいいままでとってもごめんなさい


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またもや、救われた。

いつも行き詰まると、味方になる人が現れて、俺達に救いの方向を示してくれるのだ。もちろん実際にその当人に話を聞けば「そんなつもりはない」と言うんだと思うけど、俺達にとっては救いになるような言葉や態度や反応を示してくれる。それを、真正面から受け取って、しっかり噛み砕いて咀嚼して嚥下して消化した上で、救いとして栄養に変える。そんな、いつもの、いや、ピンチに陥った時に発動するいつもの究極の対応策。それが、今日も発動した。

でも、それが発動するといつもやってくるのは、これまでの自分達に対する強烈な反省と、これまでに気付かずに行ってきた自分達の愚かな所業で迷惑をこうむったであろう人達への強烈な謝意。決まってこのコンボに打ちのめされる。もちろん、あまりの申し訳なさからなのか俺の目からは涙が溢れるところまでが一連の流れだ。だけど、俺達が謝意を向けている当事者達は、俺達が何に対して反省して何に対して謝りたいと思っているのかには絶対に気付く事はないだろう。それでも、心から謝罪したいと本気で思ってしまうのだ。

そんな、救いと反省と謝罪という支離滅裂な感情の後に待っているのは、これまた猛烈な『絶対にできる』という確信だ。

これはいつも間違いなく感じている通りの結果をもたらしてくれているのだ。この感覚を、俺は自分のこれまでの体験から間違いないものとして受け取っている。いつも最後の最後にこの感覚がやってくると信じているし、もしこの感覚が本当にやってきたら、その時は現実になってきたことばかりなのだ。

それもこれも、俺たちに対して好意的に接してくれる人のところへ、実際に会いに行って話をしたという行動の結果だ。

行動すると、何かが動く。