シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

Bダッシュかませば難なく越えられる


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気が付くのは、いつも通りすぎてからだ。

何であの時気が付かなかったんだろう?そう思う事がたくさんある。もちろん、後々に気が付いたんだからそれで良しとしておけば良いのは分かっているし、いつだって気付いた時が最速のタイミングだというのも分かってはいる。それでもやっぱりもっと早いタイミングで気付けたらなあと思わないではいられない。そういう出来事が今日あった。いや、“今日も”あったが正しいんだと思う。

もうずっと前から『それ』をやるという事になっていた。だからこそ、俺たちにとっては当たり前すぎて一切重要視をしていなかったモノがある。『それ』は俺達からしたら、ほんの一部であるし、もっと言えば極々一部のとても些末なモノレールだという認識だった。例えて言うなら、肉料理を頼んだときに申し訳程度についてくる“パセリ”のような、ほんのオマケ程度の存在だと捉えていたのだ。

だけど、俺達がこれまでに出会った人達は口々に“パセリ”の色艶の良さや香りや味や歯応えについて話をしてくる事が多かった。でも、その事について深く考えずに「そりゃそうだ。パセリなんだし」と流してしまっていたのだ。

それが実はその人たちの望んでいたモノだと受けとることも出来ずに。

だから、俺達は“パセリ”を望んでいる人達に対してずっと肉料理がどれだけ素晴らしい素材で素晴らしい調理法で素晴らしい料理人が素晴らしい調味料を使って提供しているという話をひたすらしていたのだ。ただ“パセリ”を楽しみに待ち望んでいる人達に対して。

それに気付けるチャンスはたくさんあったにも関わらず、全てを聞き流して、自分達の売り込みたいものをずっと売り込み続けていたのだ。何とも滑稽だ。
そして、今日ようやく気付いたのだ。
みんなが食べたがっていたのは肉料理ではなく良質で安心安全で尚且つ買いやすい価格帯の“パセリ”だったということに。

もっと早く気付きたかったけど、仕方ない。気付くための視点が足りなかったし、そもそもそれがメイン商材になるだなんて考えもしなかった。

まだまだ修行が足りなさすぎて、自分の足りなさに思わず笑ってしまうような出来事だった。

でも、これで明日からの動きがまた加速しそうだ。少しの窪みだったら勢いで乗り越えられそうな位にはスピードアップできる気がする。