シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

いつもの場所でいつも通りのいつものヤツを


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時間を忘れる体験ってこんな感じか。

今日は髪の毛を切りに行った。いつもお願いしているところだ。もうずっと通っているお店なので、コジャレた場所が苦手な俺も変なプレッシャーを感じずに入れる馴染みの場所で安心する。

いつもは、カットをオーナーにしてもらい、シャンプーはアシスタントの若い人にやってもらうんだけど、今日は遅めの時間で客が俺しかいなかったからなのか、シャンプーもオーナーにやってもらったんだけど、なんかいつもと違うのだ。そう思った俺は、何が違うんだろうといつものアシスタントのシャンプーとの違いをちゃんと感じることにしてみたのだ。

そしたら、まず分かった違いはその気持ち良さだ。何しろ、力加減が絶妙だ。強くもなく弱くもなく、ちょうど良い強さと速さで頭皮までしっかり洗われている感覚がある。そして頭の隅々までしっかり洗われている感覚がある。それも、何度も何度も同じ場所を洗ってくれながらも微妙に位置を変えて洗ってくれるのだ。これが、頭を洗うという事の本当の意味だとしたら、俺が毎日している入浴時の洗髪はいったい何なんだろうかと思うくらいの違いだ。そんな事を考えながら頭を洗われていたら、気持ち良さも相まって、いつの間にか頭が空っぽになっていたようで、「ずっと洗ってもらってて気持ち良いなあ」という事だけ思っていたようだ。ふと気付いたらまだ頭を洗われていた。

時間がどのくらい経ったのかは視界が白い紙のようなもので覆われてるのでよく分からないけと、多分いつものシャンプー時間とそれほどの違いはないだろう。それでも、「一時間位はやってもらったんじゃないか」と思う程度には満足感というか気持ち良さというかそういうモノを実際に感じたのだ。

今まで、何回も髪の毛を切ってもらってきたけど、こんな感覚を持ったのは初めてだった。これまで、シャンプーをしてもらうというのは、髪の毛を切ってもらう過程の中の一工程だと捉えていた。なので、シャンプーそれ自体に価値を見出だすという事はなくて、髪の毛を切りに行ったときにやってもらえる行為の一つだと思っていたのだ。だけど、あれはもはや“シャンプー”それ自体で売り物にできる位の価値がある。それくらいに技術を感じたし、その技術からホスピタリティをも感じ取れた。

そんな俺の中の出来事も、「こちらにどうぞ」の言葉で席を移動して最後の仕上げ作業に入る。

このオーナーは、これだけのモノを当たり前のサービスとして提供している、とても真っ当な人なんだなというのが改めて分かったし、その事に今さら気付く俺の不甲斐なさも分かったし、『プロ』とは何ぞや?という事への自分の中の答えもまた少し分かってきた。

行きつけの場所でいつも通りのサービスを受けたら初めて分かった事がたくさんあった。そんな体験をしたという話。