シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

青い空照りつける陽射しそして高い波と冷たい海水


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海に行ってみた。

夏と言えば海。ただそれだけの連想で行き先を決めた。海と言えば海の家、そんなノリで海の家を使ってみた。今まで、海の家を利用したことはほとんど無い。それは多分、俺の育った家庭環境に因るんだろう。

おにぎりとか焼きそばであんなにお金を払うなら持っていった方が良いという親の方針(というより経済状況の話なのか)だったので、海に行くときには必ずお弁当持参だし、ビーチパラソルを借りるという発想も無かった。でもそれで困ったことも、子どもの時分には無かった。だから、海に行っても、そういったサービスを利用する感覚が無かったのだ。もちろん、実家から海までの距離がそれほど遠くなかったというのも大きな要因の一つだとは思う。

でも、今日は思いきって海の家を利用さてみたのだ。そうさたら、昔から存在するこのサービスの良さが見えてきた。もちろん、対価としてのお金はかかる。でも、便利なのだ。まず、居場所ができる。散々遊びに夢中になってふと気が付いたら広い砂浜で一緒に来た人達を見失ってしまっても、居場所があるので安心して遊べる。
それと、荷物が置いておける。特に荷物番をわざわざ設けなくても、居場所に荷物を置いておけるのが良い。もちろん、日除けもできる。そして、小屋のなかから日差しを避けながら海を一望していられるのだ。昼寝も可能だ。さらに、シャワーが利用できる。これが極めつけだろう。海で散々遊んで砂だらけになった体をきれいさっぱり洗い流せる。これだけそろって、たかだか一人1000円程度の金額だ。これは、利用して初めてわかる素晴らしさだ。

他にもたくさん良いところはあるだろう。もちろん、それだけお金を出せば便利さを享受できるのだけど、そこはやっぱり、育った家庭の方針(何度も言うけど恐らく経済状況なんだと思う)に影響されているのか、あんな感じの食事にあれだけの金額を払おうと思う余裕は無いので、食事は海を引き上げた後に、納得のいくお店で済ませたのであまり貢献はできていない。

それでも、ロングセラーのサービスの良さや強みや存在理由について考える良い機会になったので、自分で自腹を切って様々なサービスを利用することの大切さをあらためて知った、良い夏の一日だった。

でも、やっぱり、ボッタクリ感とか自由競争が入り込めない閉鎖されたトコロでの独占感が見えてしまうと、そのサービスを気持ちよく利用するのに抵抗を感じるのは俺だけなのだろうか。それもきちんと分析していきたい。