シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

足りないものはきっとどこかにあるはずなのだ


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今この瞬間はどうにもなっていないけど、あともう少しで何とかなりそうな予感がする。

そういう、余地能力みたいなものが働く瞬間がある。

あともう少しの『何か』があったらどうにかなりそうな気がするんだけど、その『何か』が何なのかは全然分からない。分からないけど、その『何か』があれば今見えてないモノが見えるはず。それがハッキリと分かるのだ。

何をいってるか理解できないだろうし、自分でも一切の根拠を伝えていないので我ながら訳の分からないことを言っているのは分かっているけど、この「何故かは説明できないけど間違いない感覚」については確信があるのだ。思いっきり矛盾している事を言っているけど、俺の中では根拠も理屈もないままでいながら整合性がとれているのだ。恐ろしい。

そんな出来事がいつものごとくまたあった。

新しい仕事としてとある内容を作っていた時の事だ。発注内容・それを叶える内容・やりたいことの全てを盛り込むためにはどうあってもオリジナルのちょっとしたワークを作り出さないといけなくなった。実際には、それを作らなくても仕事を成立させることはできるけど、せっかくのチャンスなのでチャレンジしてみることになったのだ。

そこからは、結構スムーズに進んでいったのだ。おおまかな内容を造らところまでは生んなく進んだのだ。ただ、最後の段になって、そのワークの中で行うミニゲームのルール決めとゲームバランスを作る必要が出てきたのだ。

これがとても難しかった。

そこまでスムーズに進んでいたのが全く前に進まない。あーでもないこーでもないとやっていてもうまくいかない。だけど、もう少しでバチッとハマる気がしているのだ。さらにしばらく格闘するも全然前に進まない。「これは、もしかしたら」そう思い立って本屋に出掛けたのだ。参考資料探しに。

1時間程うろついて、幾つかの資料を手に会社に戻る。そして、仲間と一緒に資料を眺めて話をしていたら、やっぱりきたのだ。『何か』がハマる瞬間が。

そうしてどうにか目処が立った。

そういうことが起きてみると、あのとき不足していたのが何で、それが補われることで何故進みだしたかが何となく分かるのだ。そんなことがよく起きる。最終的には何とかなるけど、だったら最初から何とかなってほしい気もしないでもない。

まあ、でも結果、出来上がったんだからそれで良しとしないと欲張りすぎな気もするか。でも、やっぱり最初から何とかできる位の力は欲しいよなあ。そのうちいつか。