シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

あばよ風の残像


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あいつ今頃なにしてるんだろう?

そんな事を、久々に考えた。

打ち合わせで色んな話をしているときに何かのきっかけで、高校時代の同級生の事を思い出した。その事を思い出した会話の流れは覚えていないけど、昔の事を思い出してその思い出について話をした。

話し出してみると、もう何年も思い出したことのなかった話がどんどん出てくるのだ。あれから25年以上は経っていて、所々は全く記憶にないけれども、それ以外の部分は、まるで昨日の事のように鮮明に思い出せるのだ。話をしているときに頭の中に浮かぶ同級生達の姿はもちろんあの時のままで思い浮かぶ。まあこれは、当たり前だ。あれから一度も会っていないヤツラもいるんだから、今の年齢の姿は思い浮かぶわけもない。

そんな同級生達との思い出の日々も、俺にとっては特に大切な美しさがあるわけではない。ただ、思い出すことのなかった懐かしくも暗黒の日々の中で、ほんの少しだけ楽しかったじかんの記憶として残っているだけのものだ。ただ、今思えば、暗黒の日々にしていたのは俺の中の感情のせいで、周りの同級生達は結構面白くてイイヤツばかりだったなあと今になってあらためて思うのだ。とは言え、俺がそういうどうしようもなくツマランヤツたったばっかりに、今となっては誰とも連絡もとっていないし、皆がどこで何をやっているのかも知らないし、もちろん誰からも連絡はこない。それについて何かを思うことも無いけど、一つ思うのは、あの頃の俺はただただツマラナイヤツだったなあということだけだ。

そんな反省とも後悔とも懐かしさともつかないような何とも言えない感情を味わいつつ、とは言えあの頃の自分には他にどうしようも無かったんだから仕方ないよなあ、なんて昔の自分に同情しつつ。

今の俺だったら、あの頃の自分に一体どんな言葉をかけたりするのかなあなんて事も少しだけ考えたりしたのだ。ああ、そういえばあの頃の父親は、今の俺と同じくらいの年齢だったんだよなあと思うと、当時の父親の言葉をきちんと受け止められていなかった当時の俺には、どんな言葉も届かないのかもしれないよなあと思う。だとすると、言葉が響かない息子に対してどんな事を考えていたんだろうなあ、なんて事を同じくらいの年齢の男として考えてみたりもするけれど、もういない人には確認のしようがないので、いつもの如く想像して推測するくらいしか出来ないのだ。

この世界のどこかにいるであろう同級生達に対してと同じように、もうどこにもいない人達に対しても同じような事を思う時はある。

あの人は、今頃なにしてるんだろう?