シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

アイムソーテーGUY


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もう闘えなくなったのかもしれない。

そんな絶望感にうちひしがれた。今日の仕事での事だ。

俺の強みはライブでこそ発揮される。自分ではそう認識していたのだ。自分にできる事と言えば、何が起きるかわからない時と場所でも適切な振る舞いができること。それこそが、俺の役割りであり、俺がいる理由だ。そう考えていたのだ。

何が起きるかわからないのに、適切な振る舞いをする。一見するとおかしな事を言っているようだけど、これは生き延びていく時には絶対に必要な能力だ。それは今までの人生のなかで数々のピンチに遭遇してきたからこそようわかっている。だからこそ磨かれて身に付けてきた、いや、身に付ける他無かったと言える能力なのだ。そのつもりだった。

でも、今日、これが上手く発揮できなかったのだ。

予想される事の中で上手く動くというのは、はっきり言ってできなければ話にならない。もちろん、生存が自分以外の誰かの力によって保証されている状態であれば、予想される事の中で上手く動けなくても問題は無いのだ。だって誰かが守ってくれる前提なのだから。言うなれば、赤ちゃんとか子どもみたいなもんだから。でも、自力で生きていかなければいけないヤツは、予想される中ではもちろん、予想できない状況の中でも上手く動けないといけないのた。言うなれば、余白の使いかたが上手くなければいけないのだ。

ただ、狙ったモノは生み出せた。これは間違いなくできたのだから、及第点と言えば言えるのかもしれないけど、そこを狙っているんであれば正直なところ、そこに居るのが俺である必要性は無いんだろう。つまり、狙うところはそれではいけないという事だ。

志は高く。届きそうもないと思えるところに置いて、必ず届かせる。そんくらいの事ができなきゃ、俺がここにいる意味が無い。