シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

こんなチラシを眺めるのが好きだった


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おもちゃ屋さんに、子どもと一緒に行った。TVCMで流れていた熊のヌイグルミがどうしても欲しいらしいので、近々来る子どもの誕生日プレゼントとして買う事になった。俺にとってはそこそこの値段がするモノなので、欲しいからと言って、そうおいそれと買う事はできないという事を理解してもらう必要があるのだ。

そんなこんなで買って帰ってきてからは、ずっとそのヌイグルミで遊んでいる。買ってもらって、あれだけ喜んで使ってもらえると買った甲斐があるなあと思っていて、ふと思い出した。

「そういえば、TVCMで見たおもちゃを買ってもらった記憶は無いような…」

思い返してみると、そもそも家庭内の謎ルールによって夜8時には就寝しないといけなかったのでTVを観る時間はそんなになかった。なので、あまりTVCMを観るという機会が少なかった。たからというのもあるんだろうけど、そもそも、CMで流れていた商品を、それがお菓子だろうがほとんど買ってもらった事がないのだ。遠足のお菓子を買う時を除いて。

だから、広告を見るのが好きだった。広告を眺めるのが好きだった。広告を眺めて、それを買ってもらう妄想をするのが好きだった。クリスマス時期のおもちゃ屋のチラシを眺めるのが好きだった。毎年、クリスマスのチラシを眺めては、「このおもちゃいいよなあ」なんて兄弟で話をしていたのを思い出した。そして、それらを買ってもらった事は一度もない。

それが俺にとって良かったのか悪かったのかは俺には分からない。でも、広告を見たり店頭で見たりした物を、自分が買ってもらえるかもしれないと思ったことは、よっぽど小さい頃を除けば、一度もないはずだ。その可能性を感じたことが無いから、欲しいという意思表示を親に向けてしたことはなかったような気がするのだ。

だから何だと言うことはないけど、今、子どもに欲しいおもちゃを買って、喜んでる姿を見るとこっちもうれしい気持ちになるのは、あの頃の自分におもちゃを買ってあげているような、そんな一種の罪滅ぼしというかリベンジみたいな意味合いもあるんじゃないのかなあ、なんて事を考えたりしたのだ。

そういう意味では、全く別の人間だと思っている子どもに対して、自分を投影することもあるのかもしれない。