シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

目指すとこはいつだって決まってる


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またやってきたこの感じ。

絶望からの希望。

「どんな事からでも『学び』はある」
どこかの誰かがこんなような事を言っているのを聞いたような気がするけど、この言葉は、やっぱり本当だったんだと思わされた。

何しろ、最初にくらったのは絶望だ。その事実を突きつけられた時には、本当にもうだめかもしれない。そう思った。今までやってきた事が何の意味も無かったどころか、ただただ世の中を混乱に陥れようとしていた人達に成ってしまっていたのかもしれない。そう、本気で思うしかないような事実が、俺達の目の前に突き付けられた。

「もう、まじで、どうしたらいいのかマジで分からない…」

この絶望が、時間にして5分程度。この時、あまりの絶望感につい涙が溢れてきたのはここだけの話だ。

で、はたと思い立った。

この絶望って、実は、ビッグチャンスなのでは?だって、恐らく世界は、今理解した通りに動いているはずなんだ。数々の理解不能な出来事も、この解釈をすれば話が通る。そこにさっきは絶望していたわけだけど、という事は、とうやらこれに気が付いているのは恐らく俺たちだけのはずだ。それが証明される理由は、気が付いている人がいるとしたらその人達は何らかのアクションをしているはずだけど、そのアクションを取っている人達に出会えていない。ということは、いないと考えるのが妥当だろう。そうすると、ここを市場にし始めた俺達の一人勝ちだ。もちろん、後々参入してくる人がいれば、俺達と同じことに気が付いた人が増えたということだから、この世界にとっては喜ばしい事だ。つまり、皆が良くなる事になる。

だから、俺達が最初に開拓者として、切り開く必要がある。気が付いた者の責任として。

もちろん、見て見ぬふりをする選択肢もあるし、自分達だけが気が付いている事を利用して自分達だけ良い目に会う事もできるだろう。

でも、それはやらない。

なぜなら、それはとってもダサくてカッコワルイから。そんなにクソダサいことをやるくらいなら消えた方がマシだと思うくらいに最低最悪だと思っているから。

俺は、俺達は、カッコよく生きていたいのだ。お天道様に堂々と胸を張って生きていけるように。

誰に何を思われても、自分で自分のカッコよさを認めてあげられるように。いつだってそうありたい。