シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

確実に倒すためのリスクある戦略


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まじめすぎるのもたまに傷。

そんな話を仲間としていた。

まじめは良いことだと思っている。まじめに物事に取り組む姿勢は尊い。方や、ふまじめに物事に取り組むのは悪しき姿勢だ。これは間違いない。でも、一般的に、まじめという言葉は、真剣に物事に取り組む人を揶揄するときに使われる事も多い。これも間違いない。尊いはずなのに、揶揄されるという複雑さはどこからくるのか?
これは、世間一般の人達を観察していれば自ずと分かってくるだろう。誰もが分かっているこの真理とは、『まじめに物事に取り組むというのはとても大変なのが誰しも分かっているから、まじめに取り組む人達を揶揄する事で、立場を引き下げる事ができると考えている人が行うバカげた行為』に他ならない。まじめさを揶揄する人達も、これがわかった上でやるんだから、最早それをする人達については、冷やかな目で見てあげるくらいしか、善良な人達の出来ることは無い。もちろん、これが分かっていないで、まじめさを揶揄する人達については、最早してあげられる事は無いのは言うまでもない。

そんな、尊さしか有り得ない『まじめさ』を発揮し続けているのは、誰あろう、俺達だ。これは自画自讃ではない。ただの事実としてなのだ。これによって、面と向かって揶揄されてきたという歴史が俺達にはある。加えて、いつだって、手を抜く事なく提示された価格を遥かに上回るサービスを提供し続けているのだ。それは、これまで俺達のサービスを利用してくれた人達からの反応から明確に抽出することができるのだ。紛れもない事実として。

そんな、まじめすぎるところが、自分達の脚を引っ張っているんじゃないだろうか?そんな事が話題に上がったのだ。

「価格に見合わないサービスじゃなくて、価格に対して適正なサービスを提供してもいいのかもしれない」

今後の方針として、そんな意見も上がってきた。というか、俺が提案したのだ。過剰サービスなのかもしれないと思ったから。だけど、即座に訂正した。自分の意見に対して自分で。代案で、「いつでも全力全開で」というのを提案した。その趣旨は、正規の金額としての全力全開のサービスを提供してファンを産み、契約更新時に正規の価格で交渉するという方針で行くことにしたのだ。もちろん、それを飲んでもらえなければ契約更新はしないという方向で。それによって、ウチのダメージは特に無い。実績は積める。困るとしたら、その時にはたくさん生まれているであろうファンが、継続してサービスを利用できなくなるという苦情を受ける事になる我々の契約相手だろう。

サービスを期待通りに提供する。その見返りに、利用する人を根こそぎ虜にしてしまう。これが、俺達にできる合法且つ誰にも迷惑をかける事の無い、最も威力のあるカウンターだ。

非力でも真正面から相手を倒す方法はあるのだ。