シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

ハードルの高さは多分俺が勝手に決めてるんだ


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そんなに悪くも無かった。
率直な感想だ。

思い悩んでいても何も始まらないけど、なんとなくやっているうちに最終的には、まあ何となく、それとなく、それほど悪くないけれども特別スゲー良かったわけでもない何となく良い感じが実現されて終わるのだ。そんな事が実感できた。

話は別に大したことは無い。ただ、子どもが通う保育園の同じクラスのお友達のおとうさんとLINEを交換したというだけの話だ。

今日は、少し遠出をして市町村を幾つか越えたところにあるとても大きくてたくさん遊べる子どもに大人気の有名な公園に遊びに行った。そこに、保育園で一緒の家族が遊びに来ていたので合流した。さんざん遊んで、さあ帰路へという段で、LINEの連絡先交換。そんなシチュエーションだった。

こんなのは、世間ではよくある話かもしれないけど、俺の中では異次元の話だ。奇跡に近い。俺は、こんな行動をほぼとった事がないので、未知への恐怖が原因によって繰り出される“秘技”『怪しい受け答え』を使い始める。それが俺の通常だ。
だけど、今日は違った。とりあえず流れに身を任せてみようかなと思って、そうしてみたのだ。そしたら、世間でよくある普通の出来事が俺の身にも起きたのだ。いとも簡単に。

もちろん、色んな状況によってこんなに単純にいかない事があるのは重々承知だ。だけど、人間関係で起きる世間的な普通の事が普通にいかない時には、その原因の半分は俺にあるんだろう。

よく言われる「他人は自分を映す鏡」とい言葉。これはまさにその通りで、コミュニケーションというモノが取りざたされる場面で起きる不具合は、歩み寄りの偏りにその原因の大半があるのだ。相手をよく見てみれば、その偏りがどこにあるのか見えてくる。そして、相手を観察して見えてくるその偏りの原因を産み出しているのは、大抵が、己にあるのだ。

そんな、大前提とも言える事を思い出して活用できたのが、今日の収穫だ。

俺は『足りていない』人間だ。気付いてからまだ24時間も経っていない。だから、実践あるのみだ。足りてなさを少しずつ埋めていく。

そんな、休日の過ごし方をしたおかげか、普通の事が普通にできる気持ちを知れたかもしれない。

一緒に遊んでいるうちについついヒートアップしてしまったのか、気が付いたら腰が痛い。少し時間が経った今は、かなり腰が痛いのだ。急に全力で変な動きをしたせいなんだろう。

気分はそんなに悪くないけど、腰はとても痛い。慣れない事をすると、代償はでかい。