シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

とても単純な難しい話だ


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適切なマネジメントをするうえで大切なモノは何か?

それを考えていた時は、とても難しいと思っていたけど、実際にはとても単純な話だった。

もうずっと前から、それこそマネジメントについて書いてある本の中で最も有名なドラッカーの著作にもある“真摯さ”。これだけが必要なモノだった。
真摯さは、人それぞれではない。自分にとっての真摯さなんてモノは無いし、多様性も有り得ない。真摯さは、真摯さ以外の何物でもなく他の何かで代用もできない。そして、真摯さって何だろう?と思いながらマネジメントをする事はできないし、真摯さがなければマネジメントというものを理解する事ができないし、分かるはずもないし、できない。できるわけがない。そういうことだったのだ。

真摯さが無ければ自分の事を中心に考える。そうなれば誰かといがみ合ったりぶつかったりする場面が出てくる。だけど、真摯さで仕事に臨めばいがみ合いもぶつかり合いも無くなる“はず”なのだ。なぜなら、真摯さに“人それぞれ”は有り得ないから。真摯さによって物事を見ていけば自ずとどんな判断が適切なのかは見えてくる。自ずとどんな行動が適切なのか見えてくる。仕事なんてそんなものだ。全部が単純な話だ。

だけど、実際にはこんな単純に物事は動いていない。同じ目的を握って同じ組織の中でその目的を遂げるために仕事をしているはずの人達の間でいがみ合いや揉め事が絶え間無く起きている。もちろん、別の組織間であれば更に起きている。何でこんなことになるのか?と言えば、真摯さが無い人がマネジメントという名を用いながら全く別ものである何かを行っているからだ。マネジメントを行うのが役割だと組織から立場と権限を与えられた真摯さの無い人が行う支配や抑圧や演技に振り回されるその下の者達の悲惨さ。そんなエセ役職者と、そいつを役職に置いたその上のヤツラも当然ながら真摯さは持ち合わせていないのが明確に分かる。

「じゃあ、この世の中の組織はどこもかしこも真摯さが無いっことか?」

そうなんだと思う。そうだから、その位難しいから、ドラッカーが大昔から本で教えてくれているじゃないんだろうか。だから、マネジマントに携わる人は誰もがやらないといけないのだ。
自分に“真摯さ”があるかどうかを見つめ続ける事を。自分の言動が“真摯さ”に基づいているものなのかどうか。それらを客観的に見つめて、間違っていたら認めてすぐに修正するという、真摯さのPDCAを回し続ける事を。

だから、ドラッカーは本の中で言っていたんじゃないのか。
真摯さは後から身に付けることはできないし、真摯さが分からないヤツをマネジメントをする役割に据えてはいけないって。

真摯さをもって仕事に取り組んでいるか、取り組もうとしているか。それははたから見てるとよく分かる。もちろん、“真摯さが何なのか分かる人には”という注釈は付くけど。

すごく単純な話だったのだ。とても難しいけど。