シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

観客不在の真剣勝負!ルールはお互いのプライドのみ!


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即興で寸劇をやる事がよくある。

もちろん、人に見せるためじゃない。子どもと遊ぶためだ。

寸劇には大きく二種類ある。『ごっこ』と、『オリジナル』だ。

ごっこ』は、誰もが通るヤツだ。実際に存在するキャラクターになりきって、実際に放送されたテレビアニメと同じ話の内容をなぞらされろモノや、実在のキャラクターになりきって即興で話が展開するモノだ。大体は、想像通りの流れで進んでいくし、各キャラクターの性格や行動は踏襲される。
だけど、『オリジナル』は登場人物もストーリーもオリジナル且つ即興で進んでいく。子どもも俺もどちらもその時その場の思いつきで話を展開させていき、結末もどうなるのかは分からない。そんな遊びをほぼ毎日やっている。

俺としてはこの遊びがとても楽しい。基本的にストーリー展開は会話形式で進めていけるので、準備はいらないし、動きたくない時にはその場から動かなくてもOKなのだ。時には、朝に目覚めていつつも、そのまま寝床に横並びで転がったまま展開することもある。こたつに座ったまま展開することもあれば、今日みたいに公園で子どもを追いかけ回して走り回りつつ展開することもある。

そんな遊びをしているからなのか、俺も子どもも適当にストーリーを展開させていくのが徐々に上手くなっている感じがするのだ。できるだけ話の展開に無理が生じないようにしつつ、できるだけドラマチックな流れになるようにしつつ、できるだけ演じる自分達が面白くて楽しくなるように。そんな事を心がけながらやっている気がするのだ。

つまり、目的は『自分達が楽しくやれること』。それだけは、保育園児の子どもと40数歳の間でも握れているんじゃないかと思っている。だから大体いつもお互いに楽しいんじゃないだろうか。

目的を握れていれば楽しい。何も物質が介在しなくても楽しい。お金をかけなくても楽しい。そんな、根源的な楽しさにアクセスできているんじゃないだろうかと、今日思ったのだ。

もちろん最大の理由は、俺のお小遣いの少なさに起因しているのは言うまでもない。
「カネの無いヤツは智恵を出せ」ってだけの話なんだからきっと。