シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

潜在的な力を引き出して人間を越えるのだ


f:id:shiotapathos:20191227014616j:image

「俺は、人間をやめるぞ」

この国の漫画好きを名乗る者であれば、一発で分かるこのセリフ。
言わずと知れた、『ジョジョの奇妙な冒険 第一部』で、ディオが石仮面を被る時にジョジョに向かって言ったセリフだ。

そして、ディオは文字通り人間であることをやめて、吸血鬼になった。つまり、太陽の光を避けて暮らし、人間を食料として人間の血を吸って生きていく事にしたのだ。
もちろん、事前に(自業自得だけど)自分が吸血鬼に襲われる経験をしたから吸血鬼として生きていこうと踏ん切れたというのは大きいと思う。だけど、それにしたって、人間をやめるという決断をするのはとても大きな決断だったんだろうなとは思うのだ。まあ、色んな事情があるにせよ、人間をやめてからどうやって生きていくのかという問いを立てなかったはずは無いと思うのだ。あれだけ賢いディオだったら。色々を天秤にかけたうえで、用意周到に吸血鬼になったのだから。そうすると、人間としての生を全うする事と、吸血鬼として(もしかしたら永遠に)生きていく事を散々比較検討したうえでの結論だったと言うことなのだ。

そうすると、ディオにはわかっていたのかもしれない。吸血鬼として生きていく方が、己の性質や考え方や望みを叶えるうえでとても快適に生きていけるということを。それは当然、知識や理屈ではなく、直感か何かで。何しろ、自分は、“まだ”なった事が無いのだから。それでもこの大きな決断をしたのだ。偶然に、吸血鬼になってしまったわけではない。たまたまそのタイミングが来たからなったわけではないのだ。そんな大それた事を、自ら選択してできてしまうところが、みんながしびれて憧れるところなのかもしれないけど。だから、あれだけのストーリーの中で常にメインキャラとして君臨し続けたのだとは思う。

そこいくと、俺はやっぱり小物だ。偶然でしかできないから。

偶然に、たまたま、意図しないままに、人間をやめてしまった。
気が付いたら、人間を超越してしまったのだ。(もちろん、俺が自分に起きた出来事として使っている『人間』は、「今までの自分」という意味なので誤解の無きよう)

しかし、困った。ついうっかり気付いてしまったので、そのまま人間を越えてきたは良いけど、それより以前の自分があまりにも愚かすぎて、良い歳して不覚にも涙がたくさん出てしまったのだ。『あばれはっちゃく』だと情けなくて涙を流すのは父ちゃんと決まっているけど、40過ぎのオッサンが情けないヤツの場合に涙を流すのは自分自身だっていうことなのがよくわかった。

だけど、これでスッキリした。

俺に足りなかったものがハッキリと分かった。

もう、俺には補えるはずなのだ。足りなかったものが。
そして、これで次のステージに俺もきっと進めるはずなのだ。

何しろ、俺は人間をやめたんだから。


俺は、人間を超越するぞ!シオタの血で!