シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

回せ!ローリングクレイドルのように


f:id:shiotapathos:20191225232406j:image

本来、一人でやらないといけないこと。と言うか、一人でやるべきことなのかもしれないけど、とにかくそういう類いのヤツを、一人だけじゃなくて、複数人でやれるのって、すごく良いと思うのだ。

仕事をする上で、もはや誰でも知っていて必須と言われる程メジャーな考え方の一つの『PDCA』ってのがある。基本的には、まずは自分の仕事に対して適用するモノだ。そこから更に発展させて、自分も他人も関わる仕事であるプロジェクトとかチームとか部署とか会社全体とかに段々と適用する範囲を広げていって回していく。そんな考え方が、広く知られている。

その時の基点になるのは、まず自分。自分を起点にして、そこから少しずつ円の半径を広げていきながら回していく。で、その中にいる人たちのPDCAも同時に回っていくような感じだろうか。大きな円の中の至るところで、大小様々な円がクルクルと回っている。そうなると、それは見事な『仕事』となって形になっていく。

そんな、所謂、良い形のPDCAとは全く別の在り方をしながら回るPDCAもあるのだ。

イメージとしては、最初に回り始めた軌跡を、別の人が回すそれの軌跡で、追走するような形なのかもしれない。それを複数人で同時に行っていく。そうすると、巧く回っていない部分への修正と言うか、別のルートの発見や選択肢の増えかたが、一人でやるのとは全く比較にならないほどの幅を持って、即座に現れるのだ。
何しろ、仕事で回すPDCAが最も必要とされるのは、やっぱりなんといっても前例やお手本や見本が存在しない仕事である未知・最初・新しいと形容される仕事なのだから。これはもう、PDCAサイクルが仮説と検証というトライ&エラーで成り立っていることからも明確に示されている。
そんなトライ&エラーが瞬時に行われ且つ明るい道筋が見えるまでひたすら繰り返しが求められる状況で、これを一人で行うというのはなかなか大変な仕事だ。
でも、これを複数人で行えるとしたら、仮説を立てて検証するサイクルが回り始めた途端に、自分一人では絶対に考えも及ばないような発想やインスピレーションが瞬く間に沸いてきて、自分とは全く別角度からの仮説を立てたり、思いもよらないやり方で検証ができたりするわけだ。
もちろん、この時の大前提は、それを行う複数人が『全く同じ目的を持って取り組む事』が必須になる。

こんな無茶苦茶な前提を整えられる場なんて、ほとんど存在しないはずなのだ。みんな違ってみんな良いという個性が大切にされる場が生きていく上で大前提とされていて、それを仕事にも適用する人や場が多くあるんだから当然だろう。もちろん、それも大事だ。言うまでもない。
だけど、そんな大事な事はもちろん分かっていて踏まえていて侵害なんてしないけれども、全く同じ目的を持って仕事をする事が可能な状況というのも作り出すことができるのだ。

そうなると、前述した通常有り得ないようなPDCAを回すことが可能になってくるのだ。これは、初めて見たり聞いたり体験したりする人からしたら、もはや魔法だ。
でも、現実に存在するし、それを仕事に活用している人間がいる。

一人でやるのとは比べ物にならないほどに、遥かに効能がデカイのだ。それはもう、比べ物にならないくらいなので何かに例えるというのもおかしな話だけど、例えるなら、自宅の部屋で毎日毎日と腕立て伏せをして回数をたくさんこなせるようになった人と、パーソナルトレーニングのジムに通って半年で見違えるような体を造った人の違い以上の違いはあるだろうなと、個人的には思っている。
見た目も、扱う重量も、トレーニングや体や栄養面についての知識も、トレーニングに対するモチベーションや成りたい体のイメージも、明らかに段違いの差があるのだ。つまり、その先に実現できるであろう未来も、もう既に全く別物であるということが、その時点で明白になっているのだ。

そのくらいして、初めて勝負になってくるんじゃないのかなあ、なんて事を今日は思ったのだ。

と言うか、本音を言えば、「そのくらいじゃ、俺達の相手にはならんのよね」なんて思ってしまっているのだけど。
もちろん、これはここだけの話。