シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

隠し味はスパイシーって相場は決まっているのだ


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三連休の最終日は、実家から少し離れたところにある親戚の家に挨拶に行った後で、家に帰るべく高速道路を移動するというイベントが残っている。この帰りの高速道路が俺にとっては鬼門だ。

何しろ、移動時間がそこそこ長い。そして、道が混むので眠くなるのだ。実家から自宅への移動は大抵が午後になる。もちろん大抵の場合は昼食を食べてからしばらくして移動することになる。食事をして、お腹がいっぱいの状態で、高速道路は混んでいてノロノロと走る。信号も無ければ、途中のコンビニで休憩することも出来ない。そんな、睡魔との闘いがいつものイベントだ。

だけど、今日はそのイベントの心配は無かった。なぜなら、今日は親戚の家で昼寝をかましてきたからだ。

そうなのだ。俺は本当にどうしようもない。新年の挨拶に行った親戚の家で、みんなが話をしている横で寝落ちをし、そのまま小一時間程寝かせてもらったというのだから最早これまで。もう笑えないを通り越して、我ながら若干ではあるけど、恐ろしさすら感じるのだ。

しかし、その甲斐あってか、帰りの高速道路では睡魔に一度も遭遇しなかった。全く眠くもならずに危なげなく無事に帰ってくる事ができたのだ。実に数時間の出来事だ。

そうして家に着いてから、はたと思い立ったのだ。

「この時間に家に着いたと言うことは、ジムに行ける」ってことに。

これに気付いてしまったら、もう、行くしかない。これで行かなかったら、知ってて行かなかったら、俺はもうダメだ。自分に負けまくる人間として生きていく事を受け入れるという事になるのではないか。それだけは出来ない。ならば、行くしかない。行って、やって、達成感を得て、そして痩せるのだ。そう思って、やってきた。

そして、これで連休の充実感が最終日のこの時間にして、一気に、爆上がりしたのは言うまでもない。

これだけの事で、こんなにも変化が訪れたけど、この充実感が、この体の疲労と比例するかのような充実感が、毎日を楽しく生きるために必要なんだという事がまたしても実感として分かった。この肩のバーン感と、肩が張っているこの実感。とても良い。