シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

ズレてる方がいいと彼は歌っているけれど


f:id:shiotapathos:20200116013548j:image

同じ行動をしたとしても、目的が違えば、全く別の成果が生まれる。

今さら何を当たり前の話をしているのか。そう思った方々、御名答です。今さらだし、当たり前の話なんです。だけど、この当たり前の話、当たり前なんだけど、実際に冒頭の事を意識して日々を送っている人は一体どれくらいいるんだろうか?

こんな事を書いておきながら、俺は多分、この当たり前の事がキチンと意識して実践できているかについて、とても不安がある。恐らく、出来ていない場面が多々あるはずだ。

何しろ、まだまだ会社の業績は順調とは言い難い。だけど、世の中にビジネスの教科書と呼ばれる本は、それこそ人生の時間を全て費やしても読みきることができない程度には出版されている。だけど、まだまだ毎週のように次から次へと新しい本は出版されている。じゃあ、どの本もそんなに独自性に溢れていてオリジナルで特別な内容なのかと思えば、どこかの本に書いてあったような事を別の言い方や別の表現方法や別の事例を書くだけで、何も特別なことなんなんかはもう無いのだ。それにも関わらず、それらの新しい本は売れていく。つまり、それらの内容の本に需要があるという事だ。ということは、順調にうまくいっていない人や、不安を抱えている人がとても多いという事だろう。順調で不安の無い人は、そんな本を手に取ることはないだろう。さらに、見えてくるのは、これだけ世の中にビジネスの教科書が溢れているのにいまだに新しいビジネス本が売れるという事は、これまでに出版されてきた数々のビジネス本の内容を実践している人はいない。もしくは、実践したと自分では思っているけど、実際にはできていなかった。つまり、目的が間違っていて、欲しい結果が手に入らないという事なのか。

こんなような事が、そこかしこで起きているんじゃないだろうか。

目的の設定。
これがズレると、何もかもズレル。

手法もタイミングも結果も。何もかもが同じ行動かのように感じるだろうけど、その実態は、形が少し似ているけれど、全くの無関係な事象になる。そんな事が、色んなところで起きているんじゃないだろうか。

まず、目的。

それは、何のためにやるのか?

そんな、『そもそも論』を誰もが常に考えているという状況が、そこかしこで生まれ続けることを願って。