シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

第三の目が開いたのかもしれない可能性は?


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少しずつ整ってきた。

今まで、何となく「手をつけないといけないんだろうなあ」とボンヤリ考えていた部分に、思いきって時間を取って取り組んでみた。まあ、実際のところは、そろそろ手をつけないといけなくなって追い込まれていたというのが大きな理由なんだけど、とにもかくにも手をつけて、そこから一気に完成形まで皆で持っていったのだ。

で、やってみると、案外とスムーズに進むのだ。もちろん、手をつけてみて初めて分かる複雑な部分もあるにはあったけど、概ねスムーズに進んだと言っても過言ではないだろう。何事も、やってみるまでは分からないというのがやってみての感想だ。

考えながら、話し合いながら、シミュレーションしながら、修正しながら、また最初に戻ってみたりしながら、作り上げていった。こんな作業はとても大変だけど、めちゃくちゃに楽しいのだ。楽しいと言っても、もちろんプレッシャーもある。何しろ今日中に出来ないといけなかったのだから。そんな時間に追われながらも、みんなでアイデアを出したり行きつ戻りつしている時には、既に完成するイメージはあった。もちろん、どんな形で出来上がるのかは全くわからないけども、それでもこのまま進んでいけば早々に完成するだろうというのはわかっていた。見えていたと言っても過言ではない。そんな事が時々起きるのだ。何でなのか理由は分からないし、そもそもそれが当たっているのかも分からないし、そんなもん当てにして良いのかどうかも分からない。でも、それが見えると安心するし、今のところちゃんとその通りになっているのだ。

「イメージ出来ることはマネージ出来る」という言葉を誰かが言っていたけど、まさしくその通りだと俺も思っている。大丈夫なイメージが見えてきた時は、恐らく様々な要素から「大丈夫」だと読み取れるんだろう。それが、理屈よりも先にイメージで受け取れているということなのかもしれない。だから、本当によく分からない事は、一般的にはとても簡単な事ですらも、俺は、イメージ出来なくてあわてふためきアワアワしながらマネージ出来ないという事が度々ある。その両方を併せ持っているので、例え未知のモノをやらなきゃいけなくなってもイメージが見えれば安心感も生まれてくるけど、どんなに一般的でありふれていてもイメージ出来なきゃそれをマネージどころか誰でも出来ることをすら、やれない事もあるのだ。一長一短、というより、一長二短くらいの短さだと持っているのだ。

やっぱり俺は、バランスのとれた感じでふわふわやっていられたら良かったのかなあなんて思うことがたまにある。
でも、そういう時は、一瞬にして現実に戻ってくるものだ。今のところ、自分達で会社を起こしたから、人間関係のストレスが一切無いばっかりに、こんな事を考える余裕があるんだろうなと思ったのだ。

こんなに恵まれた環境にいるなんて、とても恵まれているだけなんだと言うことを肝に命じて、しっかり役割と使命を果たす必要があるんだと自分に言い聞かせて、着実に進んでいくしかないのだ。ふわふわなんてしてる暇は無いのだから。