シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

タムラレイコの言う通りだと声を大にして言いたい


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リスクマネジメントを考えてたら新しいモノが見えてきた。

この世の中には色んなリスクがある。そのなかでも最大のリスクは、「他人の頭の中は分からない」というモノだ。

これだけじゃわかりづらいに決まっている。何が言いたいかと言うと、他人の悪意がいつどこで誰から向けられているかは、分からない事の方が多いという事だ。

例えば、Aさんという人が俺に悪意を持っているとしよう。でも、その悪意に俺が気付けるとしたら、Aさんが何らかの行動を起こして、その行動そのものか又はその行動によって引き起こされた何らかの結果を、俺が認知した時に、初めてAさんが俺に対して悪意を向けていた事を知る。
こう書いてみるととても当たり前の話だ。当たり前だけど、だから怖いのだ。

何しろ、俺がもしそれを知らなければ、俺はいつかそれを知るまでずっと悪意にさらされ続ける可能性があるのだ。その悪意がどんな行動としてこの世界に影響を与えるのかは俺には知りようもないし、そもそも知らなければそれを止める事はおろか、防ぐことも守ることも出来ないのだ。こんなに怖いことは無い。

だから、俺は究極の方法を選択して、リスクから自分の身も会社の身も守ろうと思っているのだ。それはとてもシンプルだけど、とても難しい。だけど、今のところは概ね上手くいっているようなのだ。何故なら、今のところ存続しているからだ。つまり、このリスクマネジメントはうまくいっているという事だ。

一体、どんなリスクマネジメントを行っているのか?それは、他人に嫌われないことだ。間違っても「好かれようとする事」ではない。あくまでも、嫌われないことなのだ。嫌われなければ、悪意を向けられる事は無い。誰でもそうだけど、自分が何の感情も抱かない人に対しては悪意を向けようとか思う人はまずいないのだ。何しろ、今日すれちがった人の中で、顔も背丈も性別も雰囲気も特徴も何もかも覚えていない人の事は、そもそも思い出すことができにはずなのだ。思い出すとしたら、記憶と結び付く何かがあったはずなのだ。で、そういうものを突き詰めていくと、「~だから、○○」と、○○の中に好きか嫌いかの感情が入ってくるものなのだ。そうなると、それが好意のうちは良いけれど、それが何かの拍子に悪意に変わることがあるかもしれない。それが俺は怖いのだ。

だから、嫌われないようにするのだ。

嫌われなければ、悪意を向けられる事は無い。これは人間の原理的にそうなのだから間違いない。嫌われなければ、俺が知らないうちに気付けない悪意にさらされているという事は無い。そして、ほんの少しでも嫌われたかもという自覚があるならば、他人のほんの小さな悪意にも、俺は気付けるのだ。何でと聞かれても分からない。ただ一つ言えるとしたら、これまでの人生で他人の悪意を正面から受けてきた経験が役に立っているという事なのかもしれない。それともう一つあるとすれば、他人の悪意が発生していると想定してこの世界を見ていくというシミュレートの経験が人よりも段違いに多いという事かもしれない。

そんな俺は言うまでもなくもちろん生きづらい。生きづらいに決まっている。だけら、どうか世間の皆さま方には、優しく接していただけますよう切にお願い申し上げます。

そんな、悲しい生き物なのだ。
そんな、か弱い生き物なのだ。
だから、あまりいじめるな。