シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

全身全霊って言葉の意味が分かったきがする


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言葉を伝えるために必要なモノが分かった。

俺の発する言葉は、届けたい人には届かずに宙を漂って少ししたらどこかに消えていく。いつもそうだ。

日々、そんな事の繰り返しにも関わらず、今日もめげずに言葉を発して、またどこかに消えていく。それでもめげずに言葉を発して、時々はほんの少し受け取って貰える事も有りつつ、大抵はまたどこかに消えていく。そんな事が毎日毎日続いていく。もちろん俺は鋼のメンタルを持ち合わせてはいないので、こんな事ばかり続けば、「言葉を伝えようとするのを止めようかな」と思ったことは一度や二度ではすまない。何度となく「もうやめよう」そう思った。だけど、その度に思うのだ。俺が、この言葉を伝えようとするのを止めたとしたら俺達はどうなるのか?と。

一つは、今までも届いていないんだからこれからも俺の言葉は届かないし、届かないなりにこれまで同様それなりの形で進んでいくんだろうという、とても現実的な想像だ。
もう一つは、俺の発する言葉がもし届いたとしたら、俺を除いた誰もが考えていなかった事が、俺を含めたみんなで明確に皆で共有できるようになって、今まで以上の新しいモノが産み出されて、もっともっと楽しくなる。

どっちにするかは考えるまでもない。続けるに決まっている。届くまで。

自分なりに考えながら、持てる限りのモノを全部使って、持っていないモノも何とか使おうとして、誰かの言葉も借りて、分かるかもしれない可能性に望みを託して。それでも伝わらなくても、それを続けて、最後まで自分の事を信頼して言葉を伝えた。

そうしてやっと届けることができたのだ。届いたかどうかは、分かる。届いていないかどうかは、ハッキリと分かるのだ。これまでの人生で誰にも受け入れられず、凡そこの世界で誰よりも否定され続けてきたんじゃないかと錯覚できる程度には他者からの否定を浴びせられ続けてこれまで生きてきた俺には、俺の言葉が相手に届いたかどうかはハッキリと分かるのだ。

今回は、明確に届いた。

それを可能にしたのは、今までに意識的に使えていなかった変換装置を作動させる事ができたからだ。その変換装置は、身体だ。言葉を伝える時に、身体を通して言葉を伝える。そして、身体を通して言葉を受け取ってもらう。ただそれだけだ。それだけで、言葉は音の組合わせではなくなる。文字を、記号を、音声化したものではなくなる。身体性が伴った言葉は、単なる空気の振動によって伝わる記号としてじゃなく、明確に温度や形や重さや匂いやその他諸々を全部保ったクオリアとして相手に受け取ってもらえる事が分かったのだ。
人間はそもそも脳みそだけで生きてるわけじゃない。そんなことはわかりきっているはずなのに、みんなが脳みそだけで生きているし、脳みそだけで生きている事にすら気付かずに脳みそを上位、身体を下位に位置付けて生きているし、それによるコミュニケーションを行っている。インプットやアウトプットというコンピューターの用語が人間の能力を表す後として重用されている今のご時世からもそれが明確に見えてくる。だけど、そもそも人間は身体を伴っているからこその楽しさや苦悩や困難なんかが必ず付きまとっている生き物だ。その煩わしさを、自分の身体を無視することで無かったこととして扱って、より脳みその世界だけを重視して脳みそので生きようとしている。そして、脳みその能力だけに注目し、その能力の高低だけを問題にしていこうとしている。そんな世界の言葉は届かないし、誰にも響かない。そこにあるのは、ただの情報でしかない。それで動くのは、コンピューターのような機械的な何かだけで、人間は動かない。

そんなことが、分かったのだ。

脳みそと身体は切り離せないし心も魂もその中にある。切り離して考えたり、切り離して捉えたりなんてできるわけがない。それができるんだとしたら、AIに敵う人間は一人も存在しないし、機械に勝てる人間は存在しない。でも、人間という脳みそも身体も心も魂も噛み合ってフル稼働する全存在は、そんな機械ごときが絶対に出来ない事を可能にするのだ。そういう人間であれば機械ごときを目的に沿って使いこなすことは容易だし、楽しく生きていく事が可能だろう。そんな、とても単純な事に、あらためて気が付いたし、ようやく他者に伝える事ができた。

わかりあえないという前提に立って、それでもわかりあえる事はあるし、わかりあえたとしたらそれはすごいことだ。

簡単に、何もせずに、「人それぞれ」なんて考えて口に出してなにもしないなんて、俺には出来ないし、やりたくない。俺には俺の闘い方がある。また、その意味がより深く分かったのだ。