シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

工作をしていると今でもあの歌が聞こえてくる気がするのだ


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集中して作業に没頭するのは楽しい。

よく家でする作業と言えば、靴磨きだ。やっている間は、没頭できるので何も考えずにただひたすら靴を磨いてピカピカにするという事だけを考えて作業をする。その時頭の中にあるのは、目の前の靴を磨く事だけ。それ以外は何も考えない。なので、終わったあとに、手の指先が靴墨で真っ黒になっていたり、腰が痛くなってる事に気づいたりする。そのくらい夢中でやっているので、楽しい時間だ。ただ、体が痛くなったり、集中し過ぎて、終わったあとに疲労が凄い。

そんな、家の中でする没頭できる作業が、靴磨き以外で発生した。

今日は、子どもから、おもちゃを手作りしてほしいというリクエストがあった。これまでも、幾つかのおもちゃを手作りしてきたが、今までのは、実物が存在しない架空のモノだったので何とかなってきた。例えば、『スモールライト』『ビッグライト』『空気砲』といった、ドラえもんに出てくる秘密道具などで、実物が存在しないので、子どもの中のイメージと合致したものはなかなか評判が良かった。

でも、今回は、『コインゲーム』というリクエストだ。どうやら、以前、ゲームセンターでコインゲームをした時の記憶で話をしているようだけど、そんな大がかりなモノをどうやって作ろうか。まずはそこから頭を悩ませた。なので、作るには材料となる段ボールか、硬めの紙でできた箱が必要だと伝えてみた。家に無さそうなモノを言えば諦めるんじゃないかと思ったからだ。

そうしたら姿が見えなくなったので、諦めたのかな?と思って安心して寛いでいたら、箱を持ってやってきたのだ。どうやら、家族と一緒に仲良しのご近所さんの家に行ってもらってきたらしいのだ。

そこまでされたら作らないわけにはいかなくなったので、ボンヤリ構想していた、コインゲームの製作にとりかかった。

俺は基本的にめんどくさがりなので、こういうモノは全てフリーハンドで作り始める。使うのはいつも、ハサミ・カッター・セロテープ・材料となる各種の紙。いつもこれだけだ。ただ、自分で言うのも何だけど、これまでの作品達の完成度はかなり高い。特に、ドラえもんの秘密道具などは、かなりの“それっぽい雰囲気”を醸し出している。俺も子どももお気に入りの逸品達だ。そして、全ての作品には、必ずちょっとしたギミックを搭載している。

なので、今回のコインゲームも、できるだけ“それっぽい雰囲気”を出せるようにそれなりに考えて作業をスタートした。

そして、作業に没頭すること約1時間後。ようやく、コインゲームが完成した。出来上がったモノは、よくあるコインゲーム機のように、コインがたくさん乗っかるテーブルが前後に動く仕様にした。動力はもちろん人力だ。そこに、レールから投入したコインが転がっていて、どんどん乗っかりテーブルの端まで来たコインが下に落ちて出てくる。そんな、コインゲームだ。

正直、これまでの工作の中で一番疲れた作品になった。ギミックの可動部分をそれなりに検証しないといけなかったのが大きかったのかもしれない。そこからの調整作業がなかなかうまくいかず大変だった。そして、完成品を子どもに渡したところ、当然言われたのだ。

「動かして」と。そうなのだ。可動部分の動力が人力ということは、誰かが動かさないと遊べないのだ。ということは、その動力は、基本的には、家庭内カーストで決定してくるはずなのだ。つまり、俺の役目だ。設計の段階では、ここまでを含めて設計していなかったのが運のツキだ。

そうして、しばらくの間、延々と、そして淡々と自作のコインゲームの動力と化したのは言うまでもない。

作るのは楽しい作業だった。でも、動力となるのは、作るときとは全く別の意味で、心を無にしなければいけなかった。とても疲れた。

 

食って寝るのが仕事です


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きっと、これは『楽しい』という感じなんだと思うけど。

新しい仕事に取りかかった。内容は、他者の課題解決だ。お金をもらって、依頼内容をクリアするのだから当たり前といえば当たり前だけど、そのクリアすべき課題は、少し話を聞いた段階で、少なく見積もって“山積している”のが分かる。課題だらけすぎて、今回の案件でどの部分にアプローチすべきか非常に悩ましい状態だ。

そんな案件について、社内で話をしていると、頭がグルグル回転しだしたのが自分でも分かるのだ。いるんな事が浮かんでくる。そのとたん、急激に眠くなってきた。本当にいきなり眠気がやってきた。どうにも抗えない感じの眠気だったので、しばし仮眠をした。目を閉じた途端、ブラックアウト。

仮眠中、夢を見た。内容はハッキリ覚えてないけど、その間に今回の案件について何度か、アイデアらしきものが浮かんだ。アイデアの内容は覚えていないけど、ただ、「これは名案だ!」って思った感覚だけは強烈に覚えている。で、そのたびに目が覚めかけるが、その瞬間に忘れている、そしてまた意識が遠退く。そんな事が何度かあって、最終的に、急激に目が覚めた。名案とともに。そして、その内容をそのまま口走る。はなしながら、自分でも「これ、いいじゃん」と思える内容だった。

昔から時々あるのだ。寝ると頭の中が整理される事が。

以前に経験したのは、全く別の仕事をしていた時に、新製品の研修を受けた。その内容が当時では最先端の技術を使ったモノで、その時の俺にはすぐに理解するのが難しかったのだ。だけど、翌日にはその新製品について、研修に来ていない他の社員達とそのお客さんに解説しないといけなかったのだ。当然、研修を終えた俺は焦った。家に帰ってから何度も何度も研修内容を思い出しながら資料を読み返す。それでも、自分の中にスッと入ってきた感じはしなかった。そして、気がついたら寝ていた。もちろん、朝起きて慌てることになったのだ。「ヤベー!寝落ちしちゃったよ!本番当日になっちったー」。最早、後の祭りだ。腹を決めて、出社するしかない。ソワソワしながらも、迎える本番。だけど、自分への不安とは裏腹に、ナゼか、スラスラと研修内容を分かりやすくみんなに伝えている俺がいたのだ。

これには、自分自身が驚いた。あんなに、スッと入ってきた感覚の無かったモノが、こんなにもスラスラと自分が話せるとは。そして、話している内容も、我ながらとても分かりやすい。その時から、自分について、一つの可能性を見出だしたのだ。もしかしたら、寝ることで情報が整理されて、そこで理解が促進されるのでは?理由は分からない。でも、そういうことが自分自身に起きたのは事実。それから何度かそういう事があった。もちろん、同じような事を期待して、寝て起きても何も出てこない時も何度もあった。その違いは、未だにハッキリしていない。何となく、「こういうことなのかな?」という仮説は立ってるけど。

今日は、これの短時間バージョンが起きたんだろう。こんなに短時間で起きるのは初めてだった。これが一体どういうことなのかは俺には分からない。良いことなのか悪いことなのかそれも分からない。だけど、俺たちの仕事にとっえは、少なくとも役には立つので、一旦は良しとしておこうと思う。

ただ、理由がよく分からないのがたまに傷なのだ。これのメカニズムが判明すれば良いんだけどなあ。そしたら、自由自在に使いこなせるようになるのに。

その時は、晴れて、「寝るのが仕事」って言い張れるんだけどなあ。

頭から真っ直ぐ全力で当たるのだ


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唐突な朗報がやってきた。

思わぬ角度から、新しい仕事の依頼があったのだ。

以前にご挨拶に行った先で、俺たちの仕事について少し話をしたけれど、全く箸にも棒にもかからないんだろうなと思っていたところから、いきなり「話を聞きたい」と連絡があった。とは言え、これだけ色んなところから断られているので、また今回もどんなレベルでの話を聞きたいなのかは分からないんだから。そう思ってはいたけれど、せっかくの機会なので赴いた。

そしたら、席についてすぐに、仕事の依頼を前提にした話が展開していったのだ。

これには驚いた。俺たちの誰もこんな流れは想定していなかったのだ。とは言えそんなに大きな仕事の内容ではないし、利益が出るかと言うと、そんなに大した利益にもならないんだけれど、それでも実績を作るには充分過ぎるほどの内容なので、ありがたく受ける事にしたのだ。

まずは実績を作るために。それを前提にして、先方も仕事を出してくれたのだ。だから、儲けは少ないけどそれは了承してねというスタンスだった。だから受ける事にした。そこで実績を作ってから、その後で、その先の交渉をするつもりだから。

これで可能性が広がるかもしれない。一発で何かがどうこうなるわけじゃないけど、ここから広げるための突破口は見いだせるかもしれない。そんな希望を抱けるようなそんなチャンスがやってきた。

俺たち全員が、ぶちかまして、風穴を開けてやろうと思っているのだ。

まるで“モンスター”の如く


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『伝わる』には、必要なモノが幾つかあるんだなあ。

会社を立ち上げてから、俺たちの想いを、世界に伝えるために様々な事に苦心惨憺しながら取り組んできた。その取り組みのために、迷走して、あわや仲間割れか?なんて事も何度かあったように思う。あれだけ、理念や想いが一つだったと思っていたにも関わらず、迷いが生じるとこんな風になるんだなあなんて思った記憶がある。それくらい、人に伝えようとすると、当初の形からずいぶんと変化していって、挙げ句の果てには、「これじゃ、何だかよくわからないよ」なんて言われてしまう始末だった。

そんな時間を過ごしてきて、なんとかかんとか形になったものが、今、ようやく様々なところで反響を呼び始めてきた。つまりは、伝わりはじめて来たのだ。

当初から考えると、パッと見たときの形はずいぶんと変わったような印象を与えるかもしれないけど、実際には、根本は何も変わっていない。ただ、その中身の意味が、大きく充実しているのだ。例えるなら、ボクシングを始めたばかりのヤツが打つストレートと、死ぬほど練習を重ねて10年経過したヤツが打つストレートくらいの違いだ。同じストレートという技名だけど、その質も意味も何もかもが別物だ。でも、素人から見たら、単なるストレート。だけど、そのパンチを受ける人からしたら、全くの別物だし、そもそも威力が違いすぎる。そんな感じだ。

そんな、磨き抜かれたストレートが、様々なところで威力を発揮しはじめたのだ。何しろ、見る人が見たら、今の俺たちの繰り出すパンチは、ジャブだろうがフェイントだろうが、全てがKOパンチに映るようなのだ。

その反面、見る人によっては俺たちのパンチも素人のパンチも同じに見えてしまうらしいので、まだまだ修練が足りないんだなあとは本気で思ってもいる。

とは言え、当面のところは、わかる人にわかれば良い。まずは、そこから固めていって、玄人受けするボクサーとして名を馳せて行こうと思ってる。

だけど、それができたらいよいよ次の段階だ。

誰が見ても、明らかに本物のボクサーである。相手がどんな人であっても、仮に俺たちの事を「気に入らない」と思って見ている人に対しても、本物である事が伝えられる存在として、立つ。

『伝わる』かどうかは問題じゃない。『伝える』ができるヤツになる。それをできる限り早い段階で実現する。

今の目標はそれだけだ。

お祈りしてると手が塞がって何にもできなくなっちゃうんだよね


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段々と見えてきた。何でそういう言動になるのかが。

ちょっと前までは、本当に全く理解のできない言動をする人達がこの世界にはたくさん溢れているんだなあ、なんて思っていたんだけど、ここ数日で、その理由が解明されつつあるのだ。

とは言っても、あくまでも俺が立てた仮説に過ぎないのでこれからそれを検証していくんだけど、既に幾つかのサンプルについて検証したら、ほぼ間違いがないという結果になっているのだ。

そんな、俺達が今直面している新しい仮説のそもそもの始まりは何か?
「なんでそんな発想になるのか理由が全くわからない」と思うしかないような突飛すぎる発想の飛躍に感じるような言動をする人達の、その発想の大本は何か?

それほ、恐らく『信仰』なのだ。

信仰と言っても、既存の宗教や信仰に基づくものではない。突飛に見える言動をしているその人の中にある、その人だけに見えている特定の信仰対象を信じているのだ。それは、過去の成育環境やそれまでに触れてきた文化が大きな影響を与えているのは間違いないけれど、でも、それだけではない。なぜなら、そんな突飛な言動をする人は同環境で育ってきた人の中でも少数派だったりする例も多々あるからだ。

じゃあ一体何が理由なのか?

それは今まさに検証中だけど、恐らくこの信仰は、本能に近いものなんじゃないかと俺は考えている。正確に言うと、信仰自体が本能なのではなくて、何かを信仰する事によって己を正当化したり強化したり、もっと言えば、他者よりも自分が優れている事の拠り所を手にいれるための信仰だ。

だから、その信仰対象はハッキリ言って何でも良かったりするのだ。

例えば…、いや、例えについては書くのを止めておく。これは、本当に様々なモノがあてはまってしまうから。

とにかく、そんな仮説を今、検証しているところなのだ。この見方をしていくと、今まで不可解だった言動が、すんなり理解できるようになってしまうのだ。そうすると、何ら不思議は無くなるし、あまりにも理解不能過ぎて怒りさえ覚えていたような他人の言動に対して、「ああ、そういう事か」と、一切の感情を交えず、と言うか、若干の同情心さえ持ちながら、その言動に対応する事が可能になるのだ。

そんな風にできたら、トラブルが起きる可能性は、グッと減らす事ができるんじゃないだろうか。

夢の“平和”まで、あと少し。

なのかもしれない。

酔ってるからこそ本音の右ストレート


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いなくなって欲しいヤツっているよなあ。

どんなに好い人ぶろうとしたって、心の底から消えて欲しいと思うヤツは確実にいる。この思いが、この世界で俺だけが持っている思いだったとしても、他の誰も持っていない思いだったとしても、俺はきっと死ぬまでこれを持ち続けるんだろう。それくらい、俺のなかでは確定しているモノだ。

そんな頑なな思いは一体どんなものなのか?それは、“人を人と思わないようなヤツは生きている資格は無い”というモノだ。そんなヤツラはこの世界にごまんといる。そんなのは俺も知っている。だから、そんなごまんといるやつらは生きている資格が無いと思っている。

中でも、己よりも力の弱いものに対して、横暴な振る舞いをする人間や、まるで自由意思を尊重しているような振りをしながら実際にはその相手を己の意のままに動かそうとする人間については、心の底から、怒りと軽蔑を覚える。その最たるものが、ブラック企業の経営者だ。

俺は、これまでの人生で多くのブラック企業を渡り歩いてきた。なので、世の中で知られているようなブラック案件は大抵が経験済みだ。しかも、自分がブラックな仕打ちを受ける側として。もちろん、昔の自分のような立場の人を何とか嫌な目にあわないようにしてあげたいと思う気持ちもあるが、それよりも、人間のふりをした糞の塊達をこの世界から撲滅したい気持ちがとても強い。

従業員という弱い立場の人達を、雇用主という強い立場の人間が、まるで所有物のように扱ったり、心ない仕打ちや心ない言葉をぶつけて、メンタルを追込みメンタルを潰す。更には、自社に皺寄せや仕返しなどか返ってこないように様々な工作を施したうえで円満を装って退職に追い込む。そんな所業を繰り返すヤツラを許すわけにはいかない。

きっと、必ず、いつか、絶対に、そいつらが元従業員達を追い込んできた以上のプレッシャーをかけて、崖っぷちまで追い込んでやる。最後は、断崖から飛び降りる決断を自ら取るしかない状態になるように。そのための方法は、既にシミュレーションが済んでるだからよ。

そんな物騒な夢を見てしまうくらいには、俺ちゃん、怒っています♪


心当たりがあるヤツラに告ぐ。

マジで、いい加減にしとけよ。
俺は、根に持つタイプだからな。

これ以上、目に余るようなら、俺のこの、「いなくなって欲しい」気持ちを行動に移すぞ。

新競技フリースタイルリーディング


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雨が降るって言ってたけど、朝起きたらとても良い天気だった。

晴れた休日は公園に行くのが定番の中の一つになっている。行き先は、よく行く広い公園だ。とても大きな公園で、高台にあるので眺めが良いし、風が吹いてくると気持ちが良い。ただ、木陰が少ないので今日みたいに晴れて日差しの強い日は日焼けと汗まみれになるのが難点だ。

そんな公園で、子どもが遊んでいるのを横目に木陰のベンチに座っていた。背もたれの無いベンチなので長時間座っていると段々と腰が痛くなってくる。周りを見渡すと他のベンチもまだ空いているし、人もそんなに多くないのでしばしこのベンチを独占して使わせてもらうことにした。そう、ベンチに横たわって本を読んだのだ。

さっきまでは座って本を読んでいたので、目に映るのは本と地面だった。でも、ベンチに仰向けに寝転がると、目に映るのは頭上の木と、その隙間から見える青空。空を見ながら面白い本を読む。これがものすごく気持ちが良かった。

家の中では色んな体勢で本を読んでいるので、本の内容と、体勢によって体が痛かったり辛かったりしないかどうかをいつも気にしていた。公園のベンチに座って本を読んでいた時は、暑さと子どもの様子を気にしながら本を読んでいた。ベンチに仰向けに寝転がって本を読んでいた時は、子どもの様子を気にしつつ、気持ち良さを感じながら本を読んでいた。そんな風に、自分の中を振り返ってみると、気持ち良さを感じながら本を読む体験って、今までに無かったんじゃないかなと思ったのだ。

もちろん読む本の内容にもよるけど、何かをしながら、何かを気にしながら本を読む時は、気にする事柄と本の内容の両方が頭の中にあるので、なかなか本の内容にダイブしきる事ができないのだ。でも、今日、気持ち良さを感じながら本を読んでいた時は、今までにあまり感じたことの無いような楽しいというか気持ちが良いというかなんとも言えないポジティブな感じで本が読めたのだ。その時の感覚を思い出すと、半日経った後でも何となくポジティブな感覚を思い出せる感じなのだ。

一体あれはなんだったんだろう。気分の良さと気持ちの明るさと楽しさと、全部が混じったようなあの感覚。お金は1円もかかっていないのに、お金を払って受けるサービスで得られる類いの快感とは全く別のベクトルな気がするのだ。何かに似ているような気がするけど何だったか。

似ている何かは思い出せないけど、同じように晴れて気持ちの良い気候の日には、また屋外で寝転がって本を読むという、休日の無料レジャー選択肢が増えたのだ。

ただ、俺は最高の気分が味わえるけど他の人も同じ気持ちになるのかどうかは実証されていないので今後このレジャーが採択される日が来るかどうかは甚だ疑問ではある。